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井筒 仁康(いづつ ひとやす、1971年3月20日 - )は、大阪府大阪市出身のオートバイ・ロードレースライダー。2000年・2004年全日本ロードレース選手権チャンピオン、2004年鈴鹿8時間耐久ロードレース優勝、2009年鈴鹿8時間耐久ロードレース2位入賞。 19歳という比較的遅い年齢で競技を始めた。 1998年ワークス入りしてから、カワサキ~ホンダと移籍を遂げながら海外レースフル参戦のチャンスをうかがってきた。しかし若手スター選手の発掘・育成を目指す国際的な業界の趨勢などもあり、世代交代の壁に阻まれ念願適わなかった。 2004年に国内カテゴリーの頂点を極めたまま引退を表明。その席上トレーニングで親交のあった宮里ファミリーとの縁でプロゴルファーを目指すとしており、再び表舞台への浮上が望まれていた。 2009年2月15日(日)カワサキ有力プライベートチームである鶴田竜二率いる「トリックスター★レーシング」よりカワサキZX-10Rで5年ぶりに復帰することが発表された。「MFJ全日本選手権JSBクラス」全戦と「鈴鹿300キロロードレース」、「世界耐久選手権鈴鹿8時間耐久ロードレース」に武石伸也選手と組んで参戦している。その後レース活動は行っていなかったが、2011年の全日本ST600クラスに、不慮の事故で亡くなった高橋江紀の代役としてRS-ITOHチームから参戦することとなった。〔井筒仁康が全日本ST600に参戦決定! 〕 ==戦績== 1990年 - ロードレースデビュー 1992年 - ジュニア昇格 1993年 - 国際A級昇格 :全日本ロードレース選手権TT-F1 ランキング10位(BEET) 鈴鹿8時間耐久ロードレース16位(BEET) 1994年 - 鈴鹿8時間耐久ロードレース 10位(和泉美智夫/BEET/カワサキZXR750R) 1995年 - 全日本ロードレース選手権GP250 ランキング10位(SP忠男レーシング) 1996年 - 全日本ロードレース選手権スーパーバイク ランキング14位(チームファンデーション/ドゥカティ) :鈴鹿8時間耐久ロードレース 20位(BEET) 1997年 - 全日本ロードレース選手権スーパーバイク ランキング12位 1998年 - 全日本ロードレース選手権スーパーバイク ランキング8位(KRTテストライダー、スポット参戦/ZX-7RR) :鈴鹿8時間耐久ロードレース 7位(ニール・ホジソン/KRT/ZX-7RR) 1999年 - 全日本ロードレース選手権スーパーバイク ランキング11位(KRT/ZX-7RR) :鈴鹿8時間耐久ロードレース 3位(柳川明/KRT/ZX-7RR) 2000年 - 全日本ロードレース選手権スーパーバイク チャンピオン(5勝/KRT/ZX-7RR) :鈴鹿8時間耐久ロードレース リタイヤ(柳川明/KRT/ZX-7RR スーパーバイク世界選手権日本・SUGO大会 優勝(2ヒート優勝) 2001年 - 全日本ロードレース選手権 ランキング3位(2勝/KRT/ZX-7RR) :鈴鹿8時間耐久ロードレース 21位(柳川明/KRT/ZX-7RR) スーパーバイク世界選手権 ランキング 2002年 - スーパーバイク世界選手権 ランキング14位(KRT/ZX-7RR) 2003年 - 全日本ロードレース選手権JSB1000 ランキング4位(櫻井・ホンダ/CBR954RR) :鈴鹿8時間耐久ロードレース リタイヤ(宇川徹/セブンスター・ホンダ7/VTR1000SPW) 鈴鹿300km耐久ロードレース 優勝(宇川徹/VTR1000SPW) 2004年 - 全日本ロードレース選手権JSB1000 チャンピオン(1勝/櫻井・ホンダ/CBR1000RR) :鈴鹿8時間耐久ロードレース 優勝(宇川徹/セブンスター・ホンダ7/CBR1000RRW) 2009年 - 鈴鹿8時間耐久ロードレース 準優勝(武石伸也・鶴田竜二/トリックスター★レーシング/ZX-10R) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井筒仁康」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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