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井筒 俊彦(いづつ としひこ、1914年5月4日 - 1993年1月7日)は、文学博士、言語学者、イスラーム学者、東洋思想研究者、神秘主義哲学者。慶應義塾大学名誉教授。エラノス会議メンバー、日本学士院会員。語学の天才と称され、大部分の著作が英文で書かれていることもあり、日本国内でよりも、欧米において高く評価されている〔思想家紹介 井筒俊彦 京都大学大学院文学研究科・文学部〕。 アラビア語、ペルシャ語、サンスクリット語、パーリ語、ロシア語、ギリシャ語、中東(特にイラン)等の30以上の言語を流暢に操り、日本で最初の『コーラン』の原典訳を刊行し、ギリシア哲学、ギリシャ神秘主義と言語学の研究に取り組み、イスラムスーフィズム、ヒンドゥー教の不二一元論、大乗仏教(特に禅)、および哲学道教の形而上学と哲学的知恵、後期には仏教思想・老荘思想・朱子学などを視野に収め、禅、密教、ヒンドゥー教、道教、儒教、ギリシア哲学、ユダヤ教、スコラ哲学などを横断する独自の東洋哲学の構築を試みた。 == 来歴・人物 == 東京府出身。父の井筒信太郎はオイルマン。また、書家で、在家の禅修行者。坐禅や公案に親しんで育つ。 旧制青山学院中学で初めてキリスト教に触れる。当初はキリスト教に激しい嫌悪感を抱き、礼拝の最中に嘔吐したこともある〔安岡章太郎『15の対話』収録の対談「思想と芸術」(新潮社、1997年)〕。このころ、西脇順三郎のシュルレアリスム文学理論に傾倒。 文学部志望だったが父の反対を受け、1931年4月慶應義塾大学経済学部予科に入学。同級に加藤守雄や池田彌三郎がいた。しかし経済学の講義に興味なく、西脇順三郎教授を慕って、1934年4月、文学部英文科に転じる。在学中、旧約聖書に関心を持ち、神田の夜学で小辻節三からヘブライ語を習う。さらに、夜学の先輩関根正雄と意気投合し、アラビア語の教科書をドイツから取り寄せて、関根と共にアラビア語を学ぶ。同時にロシア語や古典ギリシア語・ラテン語も学習。1度に10の言語を学んだ。ただし「新しい外国語を一つ習得する時は、その国の大使館のスタッフを自宅に下宿させた」という有名な伝説は自ら否定している〔安岡章太郎『15の対話』収録の対談「思想と芸術」(新潮社、1997年)〕。1937年に卒業後、直ちに慶應義塾大学文学部の助手となる。 戦時中は軍部に駆り出されて中近東の要人を相手としたアラビア語の通訳として活躍。保守思想家でイスラム研究者でもあった大川周明の依頼を受け、満鉄系の東亜経済調査局や回教圏研究所で膨大なアラビア語文献を読破し、イスラーム研究を本格化した。前嶋信次はその時の同僚で、のち共に慶應義塾大教授(東洋史)。1958年に『コーラン』の邦訳を完成させた。井筒訳の『コーラン』は、厳密な言語学的研究を基礎とした秀逸な訳として、現在に至るまで高い評価を受けている。『コーラン』についての意味論的研究『意味の構造』(原著英語)の評価も高く、コーランやイスラーム思想研究では、言語を問わずたびたび引用されている。ちなみに、語学的な才能に富んでいた井筒は、アラビア語を習い始めて1か月で『コーラン』を読破したという。語学能力は天才的と称され30数言語を使いこなしたとも言われる〔『AERA MOOK 哲学がわかる』所収の牧野信也執筆記事「井筒俊彦」 (朝日新聞社、1995年)〕。司馬遼太郎は、対談冒頭で井筒を評し「二十人ぐらいの天才が一人になっている」と語っている〔司馬遼太郎『歴史歓談』収録の対談「二十世紀末の闇と光」(中央公論新社、2000年)〕。なお司馬が人に会わないことで有名な井筒に、公的な場で生前最後に会った著名人となった。 1959年より、ロシア・フォルマリストのローマン・ヤコブソンの推薦を得てロックフェラー財団フェローとして、レバノン、エジプト、シリア、ドイツ、パリなど中近東・欧米での研究生活に入る。思想研究の主要な業績はイスラム思想、特にペルシア思想とイスラム神秘主義に関する数多くの著作を出版したことだが、自身は仏教徒出身で、晩年には研究を仏教哲学(禅、唯識、華厳などの大乗仏典)、老荘思想、朱子学、西洋中世哲学、ユダヤ思想などの分野にまで広げた。古代ギリシア哲学やロシア文学に関する専門書も若くして出版している。東洋思想の「共時的構造化」を試みた『意識と本質』は、井筒の広範な思想研究の成果が盛り込まれた代表的著作とされる。 東洋思想の「共時的構造化」の本格的具現化の試みの第一弾として、1992年に「中央公論」にて「東洋哲学覚書 意識の形而上学 -『大乗起信論』の哲学」を3回に分け連載したが、翌93年1月7日、就寝中の脳出血により78歳で急逝。遺著として1993年3月に中央公論社で出版された。 独自の内観法を父親から学び、形而上学的・神秘主義的な原体験を得た。その後、西洋の神秘主義も同じような感覚を記述していることに気付き、古今東西の形而上学・神秘主義の研究に打ち込んだ。世界的に権威ある空前絶後の碩学であり、現代フランスの思想家の一人ジャック・デリダも、井筒を「巨匠」と呼んで尊敬の念を表していた〔(著作集刊行に際して、牧野信也の紹介の一節)〕。なお夫人井筒豊子は、美学の研究者で英文著作があり国際的に知られており、訳書『アラビア人文学』(ハミルトン・ギブ、人文書院)や、小説『白磁盒子』(中公文庫)を出版した。 中沢新一は河合隼雄との対談で、井筒はイスラム教から入り仏教やユダヤ教、キリスト教にも何でも深い理解を持ち、宗教の枠組みを超えたメタ宗教の可能性を構想した。その後円熟し、しだいにイスラム教と仏教を同等に捉え「アッラー」は普通言われている「神」ではなく、イスラム教が最も深いところで理解している「アッラー」というのは仏教が言う「真如」と同じだと発言したと述べている。その後は著書『大乗起信論』で、仏教、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教などありとあらゆる宗教が井筒の思考内で合流し、どの宗教も単独では歴史上実現できなかった宗教の夢のようなものを現出させて見せた。仏教は単なる宗教の一つではなく、諸宗教が宗教であることの限界を超えてメタ宗教を目指す過程で必ず仏教のような思想形態があらわれるというのが井筒の思想で、中沢にも強い影響を与える〔河合隼雄『仏教が好き!』(朝日新聞出版 朝日文庫 2008年6月30日)〕。 さまざまな思想研究をおこなったが、イスラムに特別深い愛着を持っていた。著作の『コーラン』に特に顕著に現れている。一方で、井筒の解釈には個人的な関心に基づくゆえの偏りがみられるという池内恵の指摘がある〔(「井筒俊彦の主要著作に見る日本的イスラーム理解」『日本研究.36』<国際日本文化研究センター>、2007年)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井筒俊彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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