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享保小判[きょうほうこばん]
享保小判(きょうほうこばん)とは正徳4年8月2日(1714年)に発行された一両としての額面を持つ小判である。また享保小判および享保一分判を総称して享保金(きょうほうきん)と呼ぶ。 なお、正徳金銀発行および通用に関する触書は正徳4年5月15日に出されているが、享保金銀については若干品位を上げたとされるものの、本質的な吹替えではないため改めて触書が出されたわけでもなく、享保金銀の発行時期については諸説あり、正徳5年(1715年)とするものや、徳川吉宗が将軍職に就いた享保元年(1716年)とする説まである。 == 概要 == 表面には鏨(たがね)による茣蓙目が刻まれ、上下に桐紋を囲む扇枠、中央上部に「壹」下部に「光次(花押)」の極印、裏面は中央に花押、下部の左端に小判師の験極印、さらに吹所の験極印が打印されている。慶長小判と同形式で先の正徳小判とも類似するが、裏面の花押が慶長のものと比較して小さく、表の「光次」の「光」の末画と「次」の第四画が離れ、いわゆる「離光次」のものが享保小判とされる〔瀧澤武雄,西脇康 『日本史小百科「貨幣」』 東京堂出版、1999年〕。初鋳は正徳期であり本来は正徳後期小判(しょうとくこうきこばん)と呼ぶべきであるが、鋳造期間の大半が享保期に属することから、正徳小判と区別する意味で享保小判と呼ばれる。 裏面右下に「弘」または「久・」の極印が打たれたものが存在するが、この極印の意味については現在のところ未解明である〔青山礼志 『新訂 貨幣手帳・日本コインの歴史と収集ガイド』 ボナンザ、1982年〕。 さらに佐渡の金座で鋳造されたものは裏面に「佐」の極印があり、佐渡小判(さどこばん)あるいは佐字小判(さじこばん)と呼ばれる。佐渡小判は小判師の験極印、さらに吹所の験極印の組み合わせが「筋」「神」、「利」「神」、「高」「神」、「又」「神」に限られる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「享保小判」の詳細全文を読む
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