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享禄・天文の乱 : ウィキペディア日本語版
享禄・天文の乱[きょうろく てんぶんのらん]

享禄・天文の乱(きょうろく・てんぶんのらん)は、戦国時代初期の浄土真宗本願寺宗門における教団改革を巡る内紛と、これに触発されて発生した対外戦争の総称。
*享禄4年(1531年)の享禄の錯乱(きょうろくのさくらん)または大小一揆(だいしょういっき)と呼ばれる内紛
*天文元年(1532年)から同4年(1535年)の細川氏畠山氏などとの戦いである天文の錯乱(てんぶんのさくらん)または天文の乱(てんぶんのらん)
の上記2つからなる。
この2つの戦いを一括りにすることの是非については議論の余地があるものの、両者とも本願寺10世証如と、その後見人蓮淳(8世蓮如の6男。証如の外祖父であり大叔父でもある)による法主の権限強化を図った政策方針の末に生じた出来事である。なお、後者は日蓮宗における「天文法華の乱」と重複している。
== 蓮如の一門政策 ==

*文中の( )の年はユリウス暦、月日は西暦部分を除き全て和暦宣明暦の長暦による。
8世蓮如は北陸地方畿内において国人農民を信者として取り込み、本願寺を独立した教団としての地位を確立させたものの、同時にそれは周辺の守護大名荘園領主や既存の宗派・寺院との摩擦を生んだ。その結果、平和主義や一揆の禁止などを説きながらも、教団を守るために一向一揆を組織し、更には守護などの世俗権力との連携をするという難しい選択に迫られることになった。
特に加賀においては教団への保護の約束を信じて蓮如自身が一揆とともに守護富樫氏の内紛に加担(文明5年(1473年)の「多屋衆決議文」)し、その後教団の力を恐れた富樫政親が弾圧を加えたため門徒らが激しく抵抗し、結果的に政親を倒して一国を領有する事態となってしまっていた(加賀一向一揆)。これは蓮如が一番危惧していた本願寺宗門の「反体制」視につながりかねない出来事であり、事実室町幕府第9代将軍である足利義尚は本願寺を討伐することも検討したとされている。だが、管領細川政元はこれに強く反対し、間もなく義尚自身も病死したために本願寺討伐の件は中止されて幕府から要求されていた加賀門徒の破門も有耶無耶とされた。次の富樫氏当主は政親の大叔父・泰高が擁立されたが、傀儡であり、一向一揆が加賀の支配権を握っていた。
間もなく蓮如は、長男順如の死後後継者に定めていた5男実如山科本願寺法主の地位を譲って摂津石山御坊に退いた。後を継いだ実如にとっては門徒を見捨てて加賀を放棄することは、すなわち延暦寺への従属を余儀なくされ、親鸞の教義を説くことの禁止を強要されていた蓮如以前の本願寺に戻ることであり浄土真宗の教えそのものを放棄するに等しい行為であったために受け入れられるものではなかった。そのため実如は、全ての既存勢力が本願寺を警戒する中において唯一本願寺擁護の立場を取っていた政元との協調路線を模索するようになった。『本願寺作法之次第』という本願寺に伝わる書籍には政元の山科本願寺参詣のためだけに蓮如の指示で精進料理ではなく戒律的に問題のある魚料理に献立を変更したいきさつが載せられている程である。
一方、政元も明応の政変によって第10代将軍足利義材(義稙)を京都から追放して第11代将軍に義材の従兄の足利義澄を擁立、管領主導の政権を樹立したために諸国の守護大名達の反感を買っていた。政元にとってはこうした守旧派の守護達よりも新しく台頭した一揆勢力の方が信頼が置ける存在と考えていた。既存勢力から睨まれた両者が歩み寄るのは当然の成り行きであった。
明応8年(1499年)、蓮如が危篤に陥ると遺言が彼の子供達に示された。蓮如は親鸞直系の末裔である一族の団結を求め、法主を継承した実如を中心に各地の住持となった子供達がその藩屏として教団を守ってゆくことを求めた。特に加賀においては3男蓮綱松岡寺・4男蓮誓光教寺・7男蓮悟本泉寺(初代住持は次男蓮乗)の「賀州三ヶ寺加賀三山)」を法主の現地における代行として頂点に置き国内の寺院・門徒を統率することが求められていた(この体制を特に事実上の最高執行機関となった松岡寺と本泉寺の両寺院より「両御山」体制も呼ぶ)。その支配体制は富樫氏滅亡以前である文明年間末期の段階において室町幕府が守護に対して下す奉行人奉書などの命令書が富樫政親ではなく直接蓮綱・蓮悟あてに送付されていることからでも分かる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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