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京の大仏 : ウィキペディア日本語版
京の大仏[きょうのだいぶつ]
京の大仏(きょうのだいぶつ)は、方広寺(現・京都市東山区)にかつて存在した日本大仏
豊臣時代から江戸・徳川時代の中期にかけて新旧3代の大仏が知られ、江戸時代には日本三大大仏の一つに数えられた。
江戸の後期も天保年間になって再建された4代目は昭和の後期まで存続していたが、昭和48年(1973年)、失火により焼失した。
本項では、大仏を主題に、大仏殿(方広寺大仏殿)についても述べる。
== 造営の歴史 ==

=== 秀吉による造営 ===
天正14年(1586年)、豊臣秀吉は奈良東大寺に倣(なら)って大仏の建立を計画し、大仏殿と大仏の造営を始めた。
文禄4年(1595年)、大仏殿がほぼ完成し、高さ約19メートル(長さの比較資料1 E1 m)の木製金漆塗坐像大仏〔木で造られ、漆塗りと金箔等を施された(参考:金仏壇#製造工程)、座した姿勢の大仏。〕が安置された。
しかし、慶長元年(1596年)に起きた大地震により、開眼前の大仏は倒壊した。このとき秀吉は大仏に対し「おのれの身さえ守れないのか」と激怒し、大仏の眉間に矢を放ったと伝える。
慶長3年(1598年)、秀吉は法要を待たずに死去し、同年、大仏の無い大仏殿で開眼法要が行われた。
大仏殿は高さ約49メートル、南北約88メートル、東西約54メートルという壮大なものであり、また境内は、現在の方広寺境内のみならず、豊国神社京都国立博物館妙法院智積院そして三十三間堂をも含む広大なものであった。大仏殿は、現在、豊国神社が建つ位置にあった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「京の大仏」の詳細全文を読む



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