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京急2000形電車(けいきゅう2000がたでんしゃ)は、1982年(昭和57年)12月27日に営業運転を開始した京浜急行電鉄の電車。おもに快速特急用として設計され、1987年(昭和62年)にかけて72両が製造された。快速特急を中心とした優等列車に運用された後、1998年(平成10年)に後継の2100形が登場したのに伴い、2000年(平成12年)にかけて通勤形車両に格下げ改造された。 本項では、京急本線上で南側を「浦賀方」、北側を「品川方」、東側を「海側」、西側を「山側」と呼ぶ。「1000形」は1959年(昭和34年)登場の1000形(初代)、「新1000形」は2002年(平成14年)登場の1000形(2代)、「800形」は1978年(昭和53年)登場の800形(2代)、「700形」は1967年(昭和42年)登場の700形(2代)、「600形」は1956年(昭和31年)登場の600形(2代)を指すものとする。 == 概要 == 600形の代替時期にあわせ、おもに快速特急用として、特に長距離旅客のサービス向上を狙って製造された。料金不要でありながら有料特急に比肩しうる内装をもつこと、快適性とラッシュ時への対応の両立として、2扉クロスシートとしながら扉付近の立ち席スペースを広く取ったこと、120 km/h運転をにらんで起動加速度を犠牲にしながら均衡速度130 km/h以上としたこと、800形のシステムを継承しながら主電動機出力を向上し、編成中に付随車を挿入して経済性を追求したことなどが主な設計思想である。 8両編成は3両1群の電動車ユニット2つの間に付随車を2両挟んでいる。京急の信号システムは先頭台車が電動台車であることを前提に設計されているため、4両編成の場合には電動車ユニット3両の中間に制御回路を引き通した付随車を1両挟み両先頭車を電動車としている。車種構成は、8両編成が浦賀方からM1c-M2-M3-Tu-Ts-M1-M2-M3c、4両編成が同じくM1c-M2-T-M3cである。また、京急で初めて連結器に電気連結器付き廻り子式密着連結器を採用した。 特急料金なしで乗れる車両ながら、車内設備のよさは乗客から好評で、1983年(昭和58年)、鉄道友の会ブルーリボン賞を京急の車両としては初めて受賞した。 所要数に達した1987年(昭和62年)から2100形登場まで、夏ダイヤ時、定期検査時などを除き、基本的に休日および平日日中の快速特急全列車に運用された。600形の後継車と定義される場合もあるが、本形式が登場した1982年当時、600形は車両性能などの関係から平日日中の快速特急6運用のうち2運用に使用されていたに過ぎず、本形式が600形の直接的な後継とは言い難い面もある。車体は普通鋼製。 8両編成と4両編成それぞれ6本、合計72両が1987年までに製造された。快速特急を中心とした優等列車に運用された後、1998年(平成10年)から2000年(平成12年)にかけて格下げ改造が行われ、以降8両編成はラッシュ時の優等列車やエアポート急行として、4両編成は普通列車および優等列車の増結車として運用されている。 車両番号は4桁で表され、1桁目は系列を表す「2」、2桁目は編成両数を表し、8両編成が「0」、4両編成が「4」である。3桁目は編成番号を表し1から付番する。4桁目は編成内の位置を表し、浦賀方から、8両編成が1 - 8、4両編成が1 - 4となっている。それぞれの編成については浦賀方先頭車の番号から「2011編成」「2411編成」などと呼ぶ。設計途中での仮称は「900形」だった〔『日本の私鉄14 京浜急行』(1982年4月5日発行)より〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京急2000形電車」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Keikyu 2000 series 」があります。 スポンサード リンク
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