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京極高厚 : ウィキペディア日本語版
京極高厚[きょうごく たかあつ]

京極 高厚(きょうごく たかあつ)は、但馬豊岡藩の第9代(最後)の藩主。豊岡藩京極家11代。
文政12年(1829年)5月29日、第8代藩主京極高行の長男として江戸麹町邸で生まれる。弘化4年(1847年)、父の死去により家督を継ぎ、同時に従五位下、飛騨守に叙任する。嘉永2年(1849年)、駿府加番となり、嘉永4年(1851年)に大坂加番になった。
文久2年(1862年)、幕末の海防政策として、津居山港に御台場を築き、11インチ砲や10貫砲を備えた。文久3年(1863年)の生野の変では幕府方として活躍し、平野国臣横田友次郎らを逮捕するという功績を挙げている。
明治2年(1869年)6月23日、版籍奉還により豊岡藩知事となる。明治3年(1870年)、藩校の稽古堂を女学校に改めて、藩士子女の教育化に努めた。明治4年(1871年)7月15日、廃藩置県により藩知事を廃されて東京へ移った。明治17年(1884年)、華族令によって子爵となる。明治18年(1885年)に正五位に叙され、その後も従三位、勲四等に叙された。明治30年(1897年)7月、貴族院子爵議員に選出され、明治37年(1904年)7月まで在任した。
明治38年(1905年)12月27日、東京本所邸にて死去した。享年77。
俳人としても優れていたと言われている。
== 参考文献 ==

*千田稔『華族総覧』講談社〈講談社現代新書〉、2009年
*衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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