翻訳と辞書
Words near each other
・ 京極高栄
・ 京極高次
・ 京極高正
・ 京極高氏
・ 京極高永
・ 京極高清
・ 京極高琢
・ 京極高甫
・ 京極高盛
・ 京極高直
京極高知
・ 京極高矩
・ 京極高福
・ 京極高秀
・ 京極高美
・ 京極高聡
・ 京極高行
・ 京極高規
・ 京極高詮
・ 京極高豊


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

京極高知 : ウィキペディア日本語版
京極高知[きょうごくこうち]

京極 高知(きょうごく たかとも)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての大名丹後宮津藩宮津城)初代藩主。高知流京極家の祖。
== 生涯 ==
近江守護の名門京極高吉の次男として生まれる。早くから豊臣秀吉に仕え、その功により羽柴姓を許されて羽柴伊奈侍従と称す。文禄2年(1593年)、義父毛利秀頼の遺領を(秀頼の嫡男秀秋を差し置いて)任され、信濃飯田城主として6万石を領し、従四位下侍従に任ぜられた。また、領内にキリスト教の布教を許可し、のちに自身もキリシタンとなっている。文禄3年(1594年)、10万石に加増される。
秀吉死後は徳川家康に接近し、慶長5年(1600年)には岐阜城攻めに参戦し、関ヶ原の戦いでは大谷吉継隊と戦うなどの戦功を挙げた。戦後は丹後12万3000石を与えられ、国持大名として京極丹後守を称した。田辺城に入城後、宮津城に拠点を移す。
その後、領地は嫡男・高広、三男・高三、甥で婿養子の高通の3人に分封し、宮津藩・田辺藩峰山藩の3つに分割された。嫡流は宮津7万8200石の領主となったが、3代で改易となる。その後、子孫が高家として取り立てられ、幕末まで続く。田辺藩京極家は3代で但馬豊岡へ転封となった。峰山藩京極家は幕末まで転封もなく、幾人もの若年寄を出すなど譜代格の大名として幕政にも参画した。
墓所は京都府舞鶴市本行寺京都府京都市北区大徳寺芳春院

Site of Tōdō Takatora and Kyōgoku Takatomo's Positions.jpg|関ヶ原の戦いの藤堂高虎・京極高知陣跡(岐阜県不破郡関ケ原町)


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「京極高知」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.