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京極高陳 : ウィキペディア日本語版
京極高陳[きょうごく たかのぶ]
京極 高陳(きょうごく たかのぶ、天保9年(1838年)9月22日 - 明治26年(1893年5月13日?)は、丹後峰山藩の第12代(最後)の藩主。幕臣500石で御小姓の京極高紀の次男。正室は笹田氏。官位は従五位下。備中守。通称は采女、右近。
慶応4年(1868年)2月12日、11代峰山藩主京極高富の養子となり、同年3月20日に京都で養父の名代として明治天皇に拝謁し、同年5月28日に家督を相続した。同年6月14日に従五位下・備中守に叙任される。明治2年(1869年)6月23日に峰山藩知事に任命され、明治4年(1871年)7月14日に廃藩置県により峰山藩知事を罷免され、同年9月28日に東京へ移った。明治6年(1873年)3月28日、海軍省に出仕し、水兵本部課所属となる。同年5月30日、海軍少尉に任命される。明治9年(1876年)9月30日に隠居。明治14年(1881年)7月9日に離縁となる(実家へ復籍か?)。
明治26年(1893年)5月13日に56歳で死去したとされるが、異説もある。「峰山郷土史」(上)には先述の年月日に没し、墓所は峰山町吉原の安泰山常立寺とあって、「三百藩藩主人名辞典」3もこの記述を引用している。しかし「平成新修旧華族家系大成」によると、1893年5月13日に死去したのは高陳の2代後の当主高致(高富のもう1人の養子)で、高陳の没年は記述されていない。
== 参考文献 ==

*「江戸幕臣人名辞典」2より「京極靭負」項。
*「華族明細短冊」東京大学史料編纂所蔵。これには「旧幕府小姓京極淡路守亡次男」(実祖父の記述なし)
*「丹後峰山京極家譜」東京大学史料編纂所蔵。これには「靭負高興弟」
*「平成新修旧華族家系大成」上(1996年 霞会館)には「京極高紀二男」とある。
*「峰山郷土史」上(1963年 同町、1985年 臨川書店復刊)にも「靭負高興弟」
*「峯山旧記・御料所日記」(1940年 龍灯社、1979年 世界聖典刊行協会復刊)にも「靭負高興弟」
*「峰山藩知事京極高陳他履歴」(京都府総合資料館蔵「宮津藩政記録」383)には「実父末家故京極蓬山源高記」(実祖父の記述なし)とある。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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