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京王御陵線[ごりょうせん]
御陵線(ごりょうせん)は、1931年(昭和6年)から1945年(昭和20年)まで営業していた京王電気軌道(→東京急行電鉄→京王帝都電鉄〈現・京王電鉄〉)の鉄道路線である。一部区間は現在の高尾線となっている。 == 概要 == 大正天皇崩御により造営された天皇家初の関東地区での多摩御陵が話題となり、多くの参拝者の移動手段として京王電気軌道の手により敷設された。普段は北野 - 多摩御陵前間の折り返し運転であったが、全盛期の頃は土日になると新宿からの直通運転が行われ、省線電車との熾烈な輸送競争を行っていた。 戦局の悪化に伴い不要不急線として1945年(昭和20年)1月21日に休止。休止期間中は、駅舎、線路、バラスト、架線柱は順次撤去され、その跡は雑草が生い茂り、実質的な廃線状態であった。ただ、築堤、一部の架線柱、高架橋の橋脚、鉄橋等は高尾線の敷設工事まで残され、今でも京王片倉駅新宿方の国道16号線を跨ぐ下り線の鉄橋は、御陵線開業時のものが使用されている。 御陵線廃線跡は、後に、北野 - 山田間が高尾線の一区間に取り込まれる形で復活。残りの山田 - 多摩御陵前間は高尾線新設区間の山田 - 高尾山口間の免許認可後の1964年(昭和39年)11月26日付で正式に廃止となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京王御陵線」の詳細全文を読む
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