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京都タワー(きょうとタワー)は、京都府京都市下京区にある塔である。京阪グループの京都タワー株式会社が運営している。 == 概要 == 京都駅烏丸中央口前に大きく聳え立っている。台座となっている京都タワービルを含めた高さは131mあり、京都市内では最も高い建造物である。 1953年、京都駅北側の土地に建っていた京都中央郵便局が移転することが決まり〔*>実際に移転が完了したのは1961年9月 (『京都タワー十年の歩み』 p.4)。取り壊し完了は1962年3月(同 p.12)。〕、移転後の跡地の活用が検討されていた。またこの土地は国際文化観光都市たる京都の表玄関、京都駅の真正面に当たる物であり、それに相応しくまた公共性に富む土地活用が求められていた〔『京都タワー十年の歩み』 pp.7-8 なお土地の西部に隣接する京阪自動車所有の土地も買収され、また北側に隣接する駿河屋の土地買収も検討されたが、条件が折り合わずこれは決裂となった(同書 pp.12-14)〕。京都商工会議所主催の懇談会で株式会社物産観光センター(のちに株式会社京都産業観光センター)の設立が決まり、翌1959年4月11日、創立した〔懇談会や会社の設立の経緯について、詳しくは『京都タワー十年の歩み』 第一節を参照。〕。 当初は屋上に展望台などを作る程度は検討されていたものの、巨大なタワーを建てる事は想定していなかった〔『京都タワー十年の歩み』 p.19〕。だが検討の結果、建物の内部にあまり影響を与えずにタワーを建築出来る事が判明し、山田守(建築家)の設計管理および京都大学工学部建築学教室棚橋諒教授の構造設計により建造されることとなった〔『京都タワー十年の歩み』 pp.19-21〕。この際、単なる鉄骨による無骨なタワーでは京都の表玄関には相応しくないとして、白い円筒状の優雅なデザインが採用された〔『京都タワー十年の歩み』 p.21〕。建築には日本で初めて、炭酸ガス半自動溶接機が大々的に使用されたという〔『京都タワー十年の歩み』 p.27〕。 1963年2月7日の地鎮祭後、建物は1963年8月13日に立柱式、1964年8月31日に開館〔*>それに先だって3月16日からツーリスト・インフォメーション・センター京都案内所が営業を開始している。なお『京都タワー十年の歩み』 p.30によれば、本来はタワーの完成を待って全館一斉にオープン、としたかったものが、作業に難渋が見られ、やむを得ず段階的な営業開始を強いられたとのことである。〕〔。タワーは1964年2月3日に立柱式、12月28日の開業であった〔。 その構造は、鉄骨を一切使わず、厚さ 12mm - 22mm の特殊鋼板シリンダーを溶接で繋ぎ合わせ、円筒型の塔身を作ったもの(モノコック構造)〔〔『京都タワー十年の歩み』pp.42-44〕となっており、タワー外部に仮設タワーとクレーンを設け引き上げを行った〔『京都タワー十年の歩み』pp.27-30〕。工期は約1年10カ月、総工費は38億6400万円であった〔『京都タワー十年の歩み』 p.30, p.38〕。 タワーの姿は、市内の町家の瓦葺きを波に見立て、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたものである〔。 タワー上部の展望台からは、京都市内および周辺のほか天気の良い日には大阪市街を望むこともできる〔。 台座のビルにはホテルや名店街が入居するほか、地下3階には朝7時から営業している公衆浴場がある。また、展望台や名店街ではタワーに関するグッズなどの販売も行われている。 開業40周年を機に作成されたマスコットキャラクターが、2004年12月たわわちゃんとして正式に誕生。 2014年の開業50周年に向けたエレベーター改修工事や外壁の塗り直しのため、2012年12月2日の営業を最後に展望室や台座のビルにあるレストランなどが2013年3月まで休業し、4月1日からリニューアルオープンしている。なお、このリニューアルを機に、レストランは喫茶・軽食も提供するラウンジに営業形態を変更した。。なお工事期間中も、ホテルや土産店の営業は続けられていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京都タワー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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