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京都大学人文科学研究所(きょうとだいがくじんぶんかがくけんきゅうしょ)は、京都大学に附置された研究所であり、人文科学分野の研究所である。京都市左京区吉田本町の本館と同北白川の分館の2ヶ所に施設がある。略称は、京大人文研(きょうだいじんぶんけん)。 == 沿革 == その前身は、1929年4月に、義和団の乱の賠償金を資金とした「東方文化事業」の一環として設立された東方文化学院京都研究所である。初代の所長は狩野直喜。1930年11月に新築された所屋(現在の分館)が開設される(特徴的なスパニッシュ様式の建物は東畑謙三の設計になる)。この当時、体制上は京都大学とは全く無関係の研究所であった。 1938年4月には、東京研究所との二本立てとして外務省の影響下に設立された立場からの脱却を図り、東方文化学院からの離脱を果たし、東方文化研究所と改称される。 一方、今日の本館の前身であるドイツ文化研究所が東一条に開館したのは、1934年のことであった。 また、人文科学研究所(旧・人文研)が京都帝国大学の本部構内に開設されたのは、1939年である。所長は小島祐馬、京都学派に属する高坂正顕が専任教授に就任し、柏祐賢らが研究員として所属した。 1945年2月、当時、京都大学の総長であった羽田亨が東方文化研究所長に就任する(同年11月まで兼任)。1946年9月、戦前に京都帝国大学内に新設されていた人文科学研究所とドイツ文化研究所(戦後、1945年に西洋文化研究所と改称)とを改組し、それを東方文化研究所と併合する形で、人文科学研究所(新・人文研)が誕生する。所長は安部健夫。 1949年4月に、新・人文研の新体制が発足し、 *日本部(主任・柏祐賢) *東方部(主任・貝塚茂樹) *西洋部(主任・桑原武夫) の三部制が採られることとなった。講座数では11講座が設けられた。発足当時の共同研究は、 *日本部 *日本の近代化(班長(以下同)、柏祐賢) *東方部 *東京夢華録の校註翻訳(入矢義高) *清朝の文献、特に地誌による中国慣行の蒐集(清水盛光) *中国技術史(薮内清) *仏教芸術の研究(水野清一) *中国古典の校註と索引編纂(平岡武夫) *清代奏疏中の社会経済資料の集成 雍正硃批諭旨の研究(安部健夫) *資治通鑑唐紀の研究(貝塚茂樹) *西洋部 *ルソー研究(桑原武夫) という体制となった。 2000年4月の改組により、従来の3部制より2研究部5部門制(1附属センター)に改編され、「人文学研究部」は文化研究創成・文化生成・文化連関の3部門、従前の東方部を継承する「東方学研究部」は文化表象・文化構成の2部門より成るものとされた。また東洋学文献センターは東方学研究部所管の「附属漢字情報研究センター」(漢情研)となった。 2006年4月には、イタリア国立東方学研究所、フランス国立極東学院京都支部と連携して、人文学国際研究センターを発足させた。さらに、翌2007年4月には、大学共同利用機関法人人間文化研究機構との共同によって、現代中国研究センターを発足させて、部・部門相互間、あるいは学際的な共同研究を組んでいる。 2009年4月に(附属)漢字情報研究センターは東アジア人文情報学研究センター(人情(じんじょう)研)に改組され、所蔵の学術調査資料をデジタルアーカイブ化プロジェクトを新規事業として立ち上げた。このさい所長も交代し前所長の水野直樹が就任した。 2010年4月からは「人文学諸領域の複合的共同研究国際拠点」として全国共同利用・共同研究拠点としての活動を開始している。 == 体制 == *研究部門 *文化研究創成部門(人文学研究部) *文化生成部門(人文学研究部) *文化連関部門(人文学研究部) *文化表象部門(東方学研究部) *文化構成部門(東方学研究部) *附属研究施設 *東アジア人文情報学研究センター(東方学研究部) *現代中国研究センター(東方学研究部) *人文学国際研究センター 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京都大学人文科学研究所」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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