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京阪1650型電車(けいはん1650がたでんしゃ)は、かつて京阪電気鉄道京阪線に在籍した通勤形電車。 == 概要 == 京阪線における戦後の復興に伴う車両増備は、1700系・1800系(初代)といった特急形車両で占められていた。通勤輸送に関しては主に戦前製の従来車によって賄われ、戦後間もない時期に新製された運輸省規格型車両である1300系以来、専用の新製車両は用意されなかった。しかし、急増する需要に対して通勤輸送に供する車両の増備が不可欠となったことから、1957年(昭和32年)から翌1958年(昭和33年)にかけて、京阪初の本格的な通勤形電車として以下の順に川崎車輌(現・川崎重工業)とナニワ工機(現・アルナ車両)で合計10両が新製された。 *1957年6月23日竣工: :1654 - 1657 ::ナニワ工機製 *1957年7月11日竣工: :1651 - 1653 ::川崎車輛製 *1958年12月16日竣工: :1658 - 1660 ::ナニワ工機製 本形式は当初全車とも制御車として落成し、従来車のうち主電動機出力に余裕のあった1300系の制御電動車1300型と併結して運用する計画であり、1300系の制御車である1600型の増備車との位置付けから1650型の形式称号が与えられた。 本形式の奇数車は京都向き、偶数車は大阪向き先頭車と、車両番号(車番)の末尾奇数・偶数によって車両の向きが異なっていた。これは京阪における制御電動車の車両の向きの基準に準拠したものであり〔もっとも、全車が大阪向きで落成した1700系の制御電動車1750型のような例外も存在する。〕、各種装備と併せて本形式が将来的な電動車化を見越して設計・製造されたことをうかがわせるものである。 当初は1300系の制御車として運用された本形式であるが、1959年(昭和34年)年2両が2000系「スーパーカー」新製に先立つ実用試験車として抜擢された(後述)。その後1961年(昭和36年)に1300系との連結を取り止め、同年に竣功した600系(2代)の増結T車として組み込まれるようになり、1964年(昭和39年)以降600系(2代)の630型に全車とも電動車化の上で編入された後、うち6両が1800系(2代)の制御電動車となるといった流転を重ね、1989年(平成元年)まで運用された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京阪1650型電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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