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京阪8000系電車(けいはん8000けいでんしゃ)は、1989年(平成元年)に登場した京阪電気鉄道の特急形車両。 当初は鴨東線の開業時の特急用車両の増備分として投入されたが、その後も追加で投入されて初代3000系を置き換えていった。1997年(平成9年)から1998年(平成10年)にかけて、2階建車両も製造されて、各編成に組み込まれた。かつては、車内にテレビを設置した車両(テレビカー)も連結されていたが、後述の2011年の車内リニューアルの際にテレビは撤去された。 2008年には、8両のみ残っていた初代3000系が8000系に編入されて30番台となったが、本項では、製造当初より8000系として落成した0番台について記述し、出町柳寄り先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として表記する。 == 投入の経緯 == 当初、本系列は、1989年の鴨東線の開業に伴う特急用車両の所要本数の増加分と3000系に存在していた6両編成を7両編成に統一するために必要となった中間車のみを投入する計画で、まず7両編成1本と中間車5両が製造された。3000系に組み込む中間車の車両番号を、製造順ではなく8552・8554・8564・8566・8568として竣工させたのは、組み込み先の3000系の車両番号に合わせていたためである。 運用開始すると、特急停車駅で新型車両に乗車するために待つ乗客が非常に多くなったことから、当時の会社首脳陣が3000系の総置き換えを推進したという逸話が残っている〔当時の広報誌で「5カ年計画として、すべての特急を8000系に置き換えていきます。」と発表された。〕〔1991年末の駅掲示ポスター(自社広告)では「年末には2本に1本の特急が8000系となります。」と宣伝されていた。〕。その後、この計画は変更されて3000系は1編成のみ残され、1995年(平成7年)にはリニューアル工事とともに2階建車両(ダブルデッカー)が改造で組み込まれた〔詳細は「京阪3000系電車 (初代)#車体改修工事・固定編成化」を参照。〕。 1993年(平成5年)までの間に新造が進められ、順次3000系を置き換えていき、本系列は7両編成10本(70両)となった。3000系に組み込まれていた8000系中間車は、新造された8000系に組み込まれている。そして、先に3000系で試験的に組み込まれていた2階建車両(ダブルデッカー)を本系列にも増結することになり(8800形)、1997年から1998年にかけて、1年で5両ずつ計10両が新製され、後述のテレビカーの隣の出町柳寄りから4両目(淀屋橋寄りから5両目)に順次組み込まれ、8両編成10本(80両)となっている。 特急専用車両としては6代目である〔1900系の元1810系編入車を除けば5代目、元3000系編入車である8000系30番台車を本系列として扱うと4代目となる。〕。また、京阪の特急専用車としては初めて新造当初からの固定編成形式である〔編成が長い、先頭車両の貫通扉は増解結を考慮していない、管理・運用が編成単位。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京阪8000系電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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