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京阪国際観光自動車株式会社(けいはんこくさいかんこうじどうしゃ)は、かつて京都府に拠点を置いていた貸切バス専業のバス事業者。 == 概説 == 1950年11月16日、京阪電気鉄道の出資により、国際自動車京都営業所の営業権・車両や敷地などの資産を譲り受けて設立された京都国際観光自動車(以下、「京都国際観光」と表記)が前身である。設立の時期は、折りしも第二次世界大戦終戦後、戦後の混乱も収まり、日本の国民生活にゆとりが生まれ、観光旅行なども行われるようになった時期である。当初は河原町松原に本社を置いていたが、1953年に車庫のある御池に移されている。 当初の車両数は15台で、これは当時京都府内で営業認可を得ていた観光バス車両の合計台数が76台であったことを考えれば大規模な貸切バス事業者であった。その後も事業拡大を進め、1957年には事業区域を京都府全域に拡大したが、1950年代後半には他府県からの観光バスの乗り入れや、京都府内の他の貸切バス事業者の増車などもあり(1960年末で京都府内の貸切バス認可台数は17社合計で386台となっていた)、他社との競争が激しくなっていた。 こうした競争の激化に対応するべく、京阪電気鉄道ではグループとしての合理化および競争力の強化を図るべく、1964年8月1日付で京阪宇治交通と琵琶湖汽船自動車京都営業所の貸切バス部門を譲受したため、京都国際観光は車両数79台と、当時の京都府内では最大の貸切バス事業者となった。 競争の激化は1960年代後半まで続くことになるが、名神高速道路の開通により、他府県からの観光バスの乗り入れがさらに増加、京都に拠点を置く貸切バス事業者は大手私鉄の傘下に入ったり、他社への事業譲渡を余儀なくされることになった。京阪グループも例外ではなく、京阪バスは1966年に貸切バスを10台に減車した。これにより、京都国際観光は京都府内の京阪グループでは唯一の貸切バス事業者となったことから、1966年11月に社名を京阪国際観光自動車に変更した。1967年には本社・車庫とも伏見区上鳥羽に移転している。この間、旧・京阪宇治交通の貸切免許の一時廃止により従業員51名及び貸切車両が同社より移籍された。 1960代後半は業績の向上がなかなか果たせず、1968年2月には減車の上60台体制となった。1970年には日本万国博覧会が開催されたため活況となったものの、翌年以降の需要の落ち込みに対しては、業務の多角化での対応を行う方針となり、主催ツアーの実施や、関連事業の拡大が行われることになった。 その後も京都における京阪グループ貸切バスの要として事業を継続していたが、1998年6月30日に事業廃止、解散となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京阪国際観光自動車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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