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顕生代(けんせいだい、)とは、地質時代の区分(累代)のひとつ(顕生累代)。先カンブリア時代(隠生代 Cryptozoic eon(s))の終わりから現在までのことで、約5億4,200万年前から現在までの期間。顕生代とは「肉眼で見える生物が生息している時代」という意味であるが、実際には三葉虫などの生物化石が多数産出し始めるカンブリア紀以後を指す。古生代、中生代、新生代を含む。 ==顕生代研究の推移== 地層に含まれる岩石や化石から地球の歴史を研究する地質学の歴史は18世紀から始まった。18世紀イギリスの鉱山技師ウィリアム・スミスは、オックスフォード周辺の地層を検討し「異なる地層からは異なる化石が発掘される」事を発見した〔「生命と地球の共進化」 P30〕。同じ頃フランスの博物学の研究家ジョルジュ・キュビエもパリ盆地周辺の地層を研究し「地層ごとに産出する化石が異なる」事を発見した。キュビエは地層ごとに化石記録が入れ替わっていることから、「時代ごとに生物が一斉に絶滅し、その都度新しい生物が創造された」と考えた〔「最新地球史がよくわかる本」 P258〕〔「生命と地球の共進化」 P31〕。この大量絶滅による生物の入れ替わりは天変地異説と呼ばれたが、チャールズ・ライエルが提唱した「過去に起こったことは現在観察されている過程と同じだろう」と想定する斉一説と対立した。斉一説はその後長い間地質学の主流を占め、天変地異説は異端扱いされ無視されてきた〔「最新地球史がよくわかる本」 P258〕〔恐竜が絶滅したK-T境界において「巨大隕石が落下したことが絶滅の原因」としたウォルター・アルバレスらの論文が1980年のサイエンスに掲載されたときに、世界中の地質学者や古生物学者が反論したのも、「異端の天変地異説」への感情的な反応もあると考えられる。「最新地球史がよくわかる本」 P33〕。 19世紀には世界各地で多くの化石が発掘されるようになって研究が進んだ。 1840年にイギリスのジョン・フィリップスが化石記録を「古生代」「中生代」「新生代」に分類し、基本的に現在までこの考え方が継続されている〔「大絶滅」 P21〕。地質年代はさらに詳細に分類され「代」「紀」「世」に分けられる(一番下の表を参照)。 顕生代の年代区分には、各年代ごとに示準化石という特定の化石を決めているが、示準化石は研究が進むにつれて変更される事がある。 1910年ドイツのアルフレッド・ウェーゲナーは南米大陸とアフリカ大陸の海岸線の類似性からヒントを得て大陸移動説を発表したが、当時「メガロザウルス」という陸上爬虫類の化石がブラジルとアフリカで発見されていたこともウェーゲナー説に寄与した〔「最新地球史がよくわかる本」 P13〕。「大陸移動説」は着想は良かったものの賛同する学者は少なく、学会の主流にはならなかった。 「天変地異説」と「大陸移動説」は長い間省みられなかったが、「大陸移動説」は1970年代にプレート・テクトニクスの考え方によって新たに蘇った。プレートテクトニクスは顕生代の地球を研究する上で、海洋と大陸の地質構造の違い、超大陸の形成と分裂、造山運動など多くの地質学的疑問の解明に有効である。「天変地異説」もシカゴ大学のジャック・セプコスキによる丹念な化石記録の調査から、生物が何回も大量絶滅を経験してきたことが明らかになった〔「大絶滅」 P30〕。右上の図では、古生代と中生代の境目(P-T境界)や中生代と新生代の境目(K-T境界)などで生物の科の数が激減している事が読み取れる。またK-T境界ではまさに「天変地異」である巨大隕石の落下が確実視されている。 1980年代以後、放射性元素を利用した放射年代測定(ウラン-鉛法やカリウム-アルゴン法)などの年代測定の精度が向上して、地質学的な年代の具体的な数字が従来よりも正確に測定されるようになり、年代値の見直しが頻繁に行われている〔「大絶滅」 P104〕〔以下の解説中の紀の年代について100万年単位の振れがあるが、これは基の資料によって年代値が振れているためである〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「顕生代」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Phanerozoic 」があります。 スポンサード リンク
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