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人造石 : ウィキペディア日本語版
服部長七[はっとり ちょうしち]

服部長七(はっとり ちょうしち、1840年(天保11年)9月9日 - 1919年(大正8年)7月18日)は、明治期の日本の土木技術者
既存のたたきを改良し自ら編み出した人造石工法(長七たたき)により治水用水分野の工事において業績を挙げた。広島県宇品港の岸壁工事完成の功績などにより緑綬褒章が授与されている〔『碧南事典』1993.pp321-322.〕。
== 経歴 ==
1840年(天保11年)に三河国碧海郡棚尾村(2013年現在の愛知県碧南市新川)の左官職人の家の三男として生を受ける。16歳での父の没後、一時豆腐屋を営むものの、翌年から左官修行を行い18歳より新川で左官業を始める。その後酢・菓子・酒の製造を営んだ後上京し、日本橋で饅頭屋を開業し繁盛したとされる〔田附楠人『兵庫県 JR西日本播但線に於ける「人造石」に関する調査研究』道具学会道具学論集第12号、2005年〕〔。しかし雨の日になると饅頭屋で用いている水道水の汚れがひどくなるため、自ら小石川水源地を見に行き、その不衛生さを見てからは上水道の改良を志すようになった〔〔。
1875年(明治8年)から1876年(明治9年)にかけ、宮内省発注の御学問所のたたき工事や泉水工事、時の権力者である大久保利通木戸孝允品川弥二郎らの屋敷のたたき工事などを手がけ大いに信用を得る〔〔。また1876年には人造石工法を編み出し、黒川名古屋)開削時の樋門工事などの治水・灌漑工事で大きな成果を挙げている〔『堀川沿革史』2000.pp84-86.〕。また、この時期に岡崎の夫婦橋工事を行った際、工事完成間近に岩津天満宮に詣で夢枕に立った仙人のお告げで無事の完成となったとの逸話もある〔。
1881年(明治14年)には人造石工法の海岸堤防工事への導入試行として、自ら高浜(愛知県)の服部新田開発を手がけ成功した。その後岡山県佐賀県の新田開発築堤工事で成果を上げ、1884年(明治17年)からは広島県宇品港(2013年現在の広島港の一部)の工事を請け負う。宇品港の工事は5年3ヶ月を要した難工事であったが無事完成に漕ぎつけた。後の日清戦争日露戦争の際に広島が前線に近い重要拠点とされたのも、一つには長七により整備がなされた近代湾港としての宇品港があったことによる〔。1897年(明治30年)に政府は長七に緑綬褒章を贈りその功を讃えた。
その後も長七は台湾基隆港改築工事、四日市港築港、明治用水取入口堰堤工事など数々の治水・護岸工事を手がけたが、コンクリート工法の普及など環境の変化もあったことから、1904年(明治37年)に事業から引退し〔、氏子として再興に努めていた岩津天満宮(愛知県岡崎市)に間借りする形で隠居した〔。1919年(大正8年)、79歳で没する〔『碧南人物小伝 - 服部長七 - (新川)人造石を発明した土木の神様』での記述によった。なお、生年月日と死没年月日より死亡日における満年齢を算定すると78歳となる。また、数え年では80歳没となる。〕。岩津天満宮には長七の功績を讃えた顕彰碑が建てられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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