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人間力(にんげんりょく)とは、 *社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力〔「人間力戦略研究会報告書」内の「II.人間力の定義」〕 == 概要 == 元々、「人間力」という語は、近代から使用されていたものである〔国立国会図書館および研究機関(大学を含む)が有する蔵書の中で、最も古いもので、「人間力」を題名に含むものは、1945年(昭和20年)1月に「朝日新聞」が発行した「朝日新聞大阪本社調査部パンフレット; 73」『近代戦と人間力動員 : 附イタリヤ降伏の教訓ほか』(総ページ数: 35ページ)である。なお、「朝日新聞大阪本社調査部パンフレット」は、少なくとも1940年(昭和15年)から1948年(昭和23年)7月までの発行が確認でき、現存するパンフレットの号から考察すると10年以上の発行があったものと考えられる。〕。「人間力」の語そのものは、若者言葉と同様に通俗的に使われ始めたと考えられている。〔伝統的な辞典・事典では「人間力」という項目を収録しているものを見つけるのは難しい。〕 人間力戦略研究会の座長であった東京大学教授の市川伸一は「人間力に関する確立された定義は必ずしもないが、本報告では、社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力と定義したい。」と述べ、さらに「この定義は、多分にあいまいさを含んでいる。しかし、私たちは、人間力という概念を細かく厳密に規定し、それを普及させることをこの研究会の使命とは考えていない。人間力という用語を導入することによって、「教育とは、何のために、どのような資質・能力を育てようとするのか」というイメージを広げ、さらにそこから具体的な教育環境の構築が始まることにこそ意義があるのである。」とも述べた 行政の諮問会議などでは、社会で生きてゆくために必要であったり望ましい、総合的な力が「人間力」であるとしている。一方で「」〔「」と言った人がいる〕と言う人や、「」という意味で用いる人がいるという。 ただし、『』と指摘した人がいるという。。後藤和智などに言わせると、「人間力」の語・概念は、「人間味」「人間性」「人間らしさ」などの語と違い、人間の多様性を無視し、その語を使う人による観点によるものとなってしまうという〔「人間力」を用語として頻繁に使用することを批判している者: 後藤和智、本田由紀など〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「人間力」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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