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『人間腸詰』(にんげんそうせえじ)は、探偵小説作家夢野久作の短編小説。雑誌『新青年』の昭和11年(1936年)3月号に掲載された。 == あらすじ == 江戸っ子大工の治吉が、若い時分の奇怪な体験を語る。 1904年(明治37年)、アメリカはセントルイスで開催される万国博覧会に日本も参加することとなり、当時27歳の治吉は仲間の庭師たちと共に「台湾館」(当時、台湾は日本の植民地)建設のために渡米する。太平洋を渡る船の中、地球が丸いことがてんで信じられず、治吉は鸚鵡・小便(おうむ・シッコ)になりかける。それでもセントルイスに到着するや、大工としての本領を発揮、ちょうな使いの腕前や寄木細工のカラクリ箱でアメリカ人たちを驚愕させるのだった。 やがて中国建築の台湾館が完成し、博覧会が開幕する。治吉はフロックコートで正装して客引きに早変わり、台湾館の前に立ち、現場責任者の工学士・藤村に教え込まされた英語の文句 :じゃぱん がばめん ふぉるもさ ううろんち わんかぷ てんせんす かみんかみん を始終連呼する。「日本専売局台湾烏龍茶 1杯10銭 イラハイイラハイ」の意味だということなど知らず、ただ、「毛唐のまじない文句」だと思い込んで大声でわめく治吉だったが、それでも客は引きも切らない。1杯10セントの烏龍茶と煎餅で歓待された客は、帰りがけに10セントも5ドルも彼にチップを弾んでくれるのだった。 そのように博覧会の売り子を務める治吉は、若さゆえに給仕を務める6人の娘たちが気になって仕方がない。博覧会を指揮する男爵様や藤村からは「手を出したら最後、アメリカにタタき放してやるからそう思え」と厳命されているが、それでも男とは仕方のないものだ。 そんな折、6人の給仕のうち2人が病気となる。そこで急遽の埋め合わせとして、セントルイスの中華料理店で働く娘が助っ人として雇われてくる。その2人の娘、チイチイとフイフイが、揃いも揃って治吉に色目を使い出し…。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「人間腸詰」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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