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仁宇城[にうじょう]
仁宇城(にうじょう)は、徳島県那賀郡那賀町仁宇にあった日本の城。別名は和食城、仁宇山城。 天正年間は湯浅対馬守(藤原兼時)の居城であり天正13年(1585年)に蜂須賀家政が阿波国に入るまで仁宇谷地域を押さえていた〔福永2007、pp.46f〕。蜂須賀氏が入部した直後、湯浅氏を首謀者とする仁宇谷衆は一揆を起こすが鎮圧された。仁宇城は阿波九城のひとつの支城として整備され、一揆を鎮圧した山田宗重を城代とし、5000石を有した〔福永2007、p.38〕。一国一城令により寛永15年(1638年)に廃城となった。 福永素久や高田徹は、那賀川右岸の蛭子神社境内にあったと比定するが、本田昇は『日本城郭大系15巻』などで蛭子神社の西約1.8kmに位置する遺構を阿波九城の仁宇城と比定している〔。徳島県発行の遺跡分布地図では、蛭子神社を「和食城」、西の遺構を「小仁宇城」としている〔福永2007、p.56〕。 == 脚注 ==
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仁宇城」の詳細全文を読む
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