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仁木友梅 : ウィキペディア日本語版
仁木友梅

仁木 友梅(にっき ゆうばい、生没年不詳)は、戦国時代の武将、伊賀国守護大名。通称、右京大夫。別名、義視、有梅。
同時期に伊賀に在国した仁木長政と同一人物の可能性もあるが、資料が乏しく、伊賀仁木氏との関係は不明。名前に義の字を用いていることから、仁木義長の本筋で仁木義広仁木義持仁木義政との関連が推測される。
== 略歴 ==
元亀2年(1571年)、伊賀の国人たちによって江州から招かれ、伊賀へ入国した。しばらく三田に滞在した後、上野の平楽寺へ城を構え、伊賀国主として振る舞ったが、国人たちには侮蔑の対象とされており、次第に亀裂が生じていった。更には百田藤兵衛と仏像をめぐり対立し、天正5年(1577年)に信楽の地へ追放された。
天正伊賀の乱の後、織田家臣として平楽寺城主に返り咲いたが、本能寺の変後起きた一揆に攻められ再び没落し、守護としての仁木氏は滅亡した。
その後は興福寺に隠遁したようで、多聞院日記に名が見える。
日記によると美女とされた娘がおり、新たに伊賀守護に任命された筒井定次の側室となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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