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仁礼 景雄(にれ かげお、1884年10月10日 - 1926年8月)は日本の昆虫学者。 子爵仁礼景範の三男。軍人を目指して海軍兵学校に入るも病を得て中退、静養中に東京帝国大学の内田清之助、矢野宗幹、三宅恒方、佐々木忠次郎といった碩学に昆虫学の個人教授を受け、主として朝鮮半島や台湾のチョウを研究。1919年、『昆虫世界』誌上にて、斯界の権威松村松年の『新日本千虫図解』の誤りを具体的に列挙し、その杜撰さを批判。 台湾産タテハチョウのニレミスジ(別名ヒラヤマミスジ)などに名を残す。蒐集した昆虫標本は、歿後、東京帝国大学を経て九州大学農学部に送られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仁礼景雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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