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仁義を切る(じんぎをきる)は、任侠、テキヤなどが、初めて顔を合わせたとき挨拶をすることである。任侠、テキヤ以外にも、かつては各地を渡り歩く鉱山夫や旅の職人なども仁義を切っていた。 ==概要== 一身上の都合で旅人(たびにん。旅から旅に渡り歩く者)となった者も、手拭い1本あればその土地土地の親分を訪ね、一宿一飯の恩を蒙り、草鞋銭(わらじせん)を得て旅行することができたという。ただし、一言でも言い間違えたり、所作に間違いがあった場合は「騙り」とみなされ、袋叩きになって追い出され、殺されても不思議ではなかった。 一般的な社会構成から外れた特定業(現代のアウトロー)の者達が相互扶助の為に作り出した習慣の一つであり、厳格な所作は同業の者であると確認するための目安であった。 識字率が低かった時代の身分証明の手段でもあり、現在では任侠・テキヤも名刺を用いるようになったため、挨拶法としては行われていない。 一例を示せば、 :旅人「何某の貸元の御宅はこちらでござりまするか」。 ::家の者が出てきて、 :家の者「手前です。お入りなされ」。 ::旅人は荷物を門口に置き、裾をはしょったまま羽織の紐を解き、両手の親指にはさんで、 :旅人「御敷居内、御免下されまし」 ::と入り、紐を親指にはさんだまま框に両手をつき、頭を下げ腰をかがめ、 :旅人「親分様でござりまするか」。 :家の者「若い者でござんすから御頼み申します」 ::とすわり、左手を下げ逆につき、右手は膝から下げ三つ指をつき、 :家の者「自分より発します。御控えください」 ::旅人はとどめて、 :旅人「どういたしまして、御控えください。私は旅のしがないものでござんす。御控えください」。 :家の者「下拙も当家のしがない者でござんす。御控えください」。 :旅人「さよう仰せられ。御言葉の重るばかりでござんす。御控えくだされまし」。 :家の者「再三の御言葉に従いまして控えます。前後を間違いましたら御免くださいまし」。 :旅人「早速御控えあってありがとうござんす。陰ながら親分さんで御免なさんせ。姉上さんで御免なさんせ。折合いましたる上々様御免なさんせ。斯様土足裾取りまして御挨拶、失礼さんでござんすが御免なさんせ。向いましたる上さんと今回初めての御目通でござんす。自分には何地住居某一家何誰若い者何と発し、御賢察の通、しがなき者にござんす。後日に御見知り置かれ行末万端御熟懇(ゆくすえばんたんごじっこん。原文のまま)に願います」。 :家の者「御言葉御丁寧にござんす。申し後れまして高うはござんすが、御免を蒙ります。仰の如く貴方さんとは初の貴見にござんすが、自分儀は当家に暮します渡世にとっては何々一家誰という若い者、何某と発しまして御賢察の通しがない若い数ならぬ者でござんす。行末永く御別懇に願います。御引きなさい」 :旅人「貴方より引きなさい」 ::と先程同様におよそ3回問答、相引に手を引く。 ::旅人は前に厄介になった親分の名を言い、礼の伝言を頼み、 :旅人「懐中御免蒙ります」 ::と手拭いを出し、 :旅人「粗末ながら」 ::と差し出すのを家の者が受け取り、あるいは一宿あるいは一飯させ、出立の際、草鞋銭と前の手拭いを :家の者「包直す筈なれど略しまして」 ::と返し、行先の親分を教え、帳面に名を記して出立させる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仁義を切る」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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