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仁連木城 : ウィキペディア日本語版
二連木城[にれんぎじょう]

二連木城(にれんぎじょう)は、朝倉川南岸の三河国渥美郡の北の端に有った戦国時代日本の城(現、愛知県豊橋市仁連木町)である。「楡(にれ)の木」から名が付いたと言われ、仁連木城とも書く。
== 歴史 ==

=== 築城まで ===
築城したのは明応2年(1493年)で戸田氏中興の祖戸田宗光(全久)である。
戸田宗光は、京都室町幕府政所執事の伊勢貞親に仕えていた。三河国守護細川成之から三河国額田郡で狼藉を働く者の鎮圧願いが出され、8代将軍足利義政は戸田宗光と義父松平信光に命を下した。宗光は義父松平信光と共に賊の首をあげ京へ送ったが、宗光は三河国で勢力を持ち始める。応仁の乱応仁元年(1467年)〜文明9年(1477年)}が始まり、群雄割拠の時代が来ると、文明7年(1475年)、渥美郡大津城(豊橋市老津町)に入り、文明9年(1477年)郡代一色政照を渥美郡大草村(愛知県田原市)に隠居させ、政照の養子分になることで郡の統治権を得る。文明12年(1480年)に田原城(田原市)を築城する。
明応2年(1493年)、豊川北岸の郡である宝飯郡長山一色城(現、豊川市牛久保町)で、主君一色時家を討ち君臨していた波多野時政(全慶)と、同じ故一色時家家臣牧野成時(古白)は灰野原の戦いを起こしていた。宝飯郡で大混乱の年、渥美郡の北の端である朝倉川沿いの丘の上に二連木城を築城し、宗光は二連木城へ移る。これによって、二連木城を渥美郡北部の根城とし、息子の憲光に譲った田原城と共に戸田家の中心拠点となる。そして、戸田宗光は渥美郡完全制圧を図る。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nirengi Castle 」があります。



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