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今久留主成幸 : ウィキペディア日本語版
今久留主成幸[いまくるす なりゆき]

今久留主 成幸(いまくるす なりゆき、1967年5月10日 - )は、大阪府摂津市出身の元プロ野球選手捕手)。
実兄は日本航空高等学校石川野球部監督の今久留主祐成。元毎日・西鉄の今久留主淳、元毎日・近鉄今久留主功は親戚にあたる。
== 来歴・人物 ==
小学校時代は摂津リトルに所属。清原和博のいた岸和田リトルを破り、リトルリーグ全日本選手権優勝。PL学園高校では、同期の清原、桑田真澄とともに、に春の選抜に控え捕手として出場。準決勝で渡辺智男を擁する伊野商に敗退〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。同年夏の選手権では背番号2の捕手であったが、春と同じく杉本隆雄(プリンスホテル)の控えに回る〔自身は2回戦の対東海大山形戦と準決勝の対甲西戦の2試合に途中出場〕。順調に勝ち進み、決勝で宇部商を降し優勝を飾る〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。他の高校同期に松山秀明内匠政博がいる。
卒業後は明治大学に進む。東京六大学リーグでは秋季リーグで優勝を経験するが、自身の活躍の場はなかった。に野球部主将となる。同年春季リーグでは2年生の三輪隆に正捕手の座を譲るが、秋季リーグで活躍しベストナイン(捕手部門)に選出されている。
ドラフト4位で横浜大洋ホエールズに入団。途中に金銭トレード西武ライオンズへ移籍した。1997年1月、肘の手術からの復活を期す桑田に請われ、オーストラリア自主トレに他球団の選手ながら同行。桑田の生きた球を一番受けてきた捕手として、桑田が本当にプロで通用する球を手術後も投げられるかの判定を任される。限りで現役を引退。
ベースボール・チャレンジ・リーグ信濃グランセローズゼネラルマネージャーに就任。に退任した木田勇の後任として監督に就任、7月12日新潟県立野球場(HARD OFF ECOスタジアム新潟)で開催された対新潟アルビレックスBC後期2回戦開始前の始球式に、特別ゲストの桑田が最終所属チームであるピッツバーグ・パイレーツの背番号18のユニフォームをまとい、今久留主が捕手を務めるなど演出が図られた。しかし前後期とも最下位に終わり、同年限りで辞任した。
現在は、高校時代の同期である桑田が理事長を勤める特定非営利活動法人 アミーチ・デル・クオーレのコーチ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「今久留主成幸」の詳細全文を読む



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