翻訳と辞書 |
今出川公規[いまでがわ きんのり] 今出川 公規(いまでがわ きんのり、寛永15年1月12日(1638年2月25日) - 元禄10年10月26日(1697年12月8日))は、江戸時代前期の公卿。後光明朝(110代)から東山朝(113代)の四朝にわたって仕え、官位は従一位右大臣まで昇る。父は内大臣徳大寺公信。母は長州藩主毛利秀就の養女(岩国藩主吉川広正の娘)。養父は右大臣今出川経季。室に丸亀藩主京極高和の娘。息子に右大臣今出川伊季、娘に水戸藩主徳川綱条室、常陸府中藩主松平頼明室がいる。 正保2年(1645年)に叙爵。以降清華家当主として早い速度で昇進し、侍従・左近衛少将・左近衛中将を経て、万治2年(1659年)に従三位となり、公卿に列する。権中納言を経て、寛文4年(1664年)に権大納言。延宝6年(1678年)には右近衛大将に補され、さらにその翌年には右馬寮御監を兼務。天和3年(1683年)からその翌年にかけては内大臣の地位にあった。元禄5年(1692年)からその翌年にかけては右大臣をつとめる。元禄7年(1694年)に従一位に進む。 == 関連項目 ==
* 菊亭家
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「今出川公規」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|