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今坂喜好 : ウィキペディア日本語版
今坂喜好[いまさか きよし]

今坂 喜好(いまさか きよし、1945年 - )は、日本プロ野球チーム・阪急ブレーブス私設応援団「八二会(やじかい)」団長。スタジアムのファンも選手も楽しませる野次で有名となった。大阪市大正区出身。元阪急電鉄社員。
== 来歴・人物 ==
少年時代、野球で遊ぶことはあったが、周囲は南海ホークスのファンばかりであったという。小学4年生の時に大阪球場で南海 - 阪急戦を観戦、空いているという理由でレフトスタンドにいたところ、阪急の選手のホームランボールを拾う。試合終了後に、その選手のサインを貰ったことが機会となり、阪急ブレーブス・ファンになる。しかしこの頃は、球場では外野席から眺めているだけだった。
高校卒業と同時に阪急電鉄に入社。仕事より野球を優先すべく、阪急西宮球場へ徒歩で通える西宮工場勤務を希望する(同工場と正雀工場の統合後は正雀工場に勤務)。1967年に応援団「八二会」を立ち上げる。25歳で結婚と同時に阪急沿線の大阪府箕面市へと転居。
1988年、阪急電鉄がブレーブスをオリックスに身売りを発表する直前に、阪急電鉄社長から呼び出しがあり、直々に謝罪を受けた。同応援団は(ブレーブスからブルーウェーブに名称を変更するまで)活動を続けたが、今坂は応援を引退。ただし、阪急時代の選手が現役の間は密かに球場へ行っていたが、旧・阪急ファンを見かけると顔を隠していたという。1995年に阪急電鉄を退社。現在は、阪急沿線を離れて暮らしている。
2011年5月8日、「LEGEND OF Bs 2011」としてオリックスの選手が阪急ブレーブスの復刻ユニフォームを着用した対ロッテ戦で、応援団長時代の服装で始球式に登場、久々に公の場に姿を現した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「今坂喜好」の詳細全文を読む



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