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今川氏堯 : ウィキペディア日本語版
今川氏堯[いまがわ うじなり]

今川 氏堯(いまがわ うじなり)は、江戸時代高家旗本
吉良家の一族である岡山弥清の長男で、生母は品川高久の娘。今川直房の養子に迎えられ、跡を継いだ。
== 生涯 ==
今川直房の子供が早世したため、養子に迎えられた。吉良家と今川家は多重の姻戚関係で結ばれており、氏堯の父弥清は直房の甥(弥清の母が直房の妹)、氏堯の母は直房の従妹という関係である。
万治元年(1658年)8月5日に将軍徳川家綱に御目見する。寛文元年(1661年)12月10日養父直房の死去により、家督を相続する。氏堯は表高家であり(『徳川実紀』には旗本寄合席であったとも記される)、役職には就くことがなかった。
室町時代足利義教今川範忠の武功を称え、今川名字を嫡家に限るとしたことがあった。庶家が今川を名乗ることを禁じて嫡流の権威を高めるものであり、氏堯の外祖父高久(今川氏真の次男)が品川を称したのもこの由緒によるものである。しかし、江戸時代初期に統制は不十分であり、庶流で今川を称する者も多かった。寛文6年(1666年)6月19日、将軍家綱はこの由緒を確認し、今川の苗字は氏堯の家に限るよう命じた。これにより、瀬名氏の流れを汲む大番士の今川貞利義行父子が名字を瀬名に改めている。
延宝元年(1673年)11月15日死去、享年32〔『寛政重修諸家譜』による。『今川系図』では享年24。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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