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今帰仁按司朝義 : ウィキペディア日本語版
今帰仁朝義[なきじん ちょうぎ]

今帰仁朝義(なきじん ちょうぎ、康熙41年11月2日(1702年12月20日) - 乾隆52年8月27日(1787年10月7日))は琉球王国第二尚氏王統の人。尚韶威・今帰仁王子朝典を元祖とする向氏具志川御殿の十世で、唐名は尚宣謨、童名を思徳金という。はじめ名乗は「朝忠」であったが、「忠」の字が禁字となったため、のち「朝義」に改めた。
三度の上国の経験をもち(うち一回は江戸上り)、尚穆冊封にさいしては摂政として任にあたった。また琉球における消防庁、総与方が創設されたときには最初の按司奉行の一人となった。
ところで同家は元祖:尚韶威・今帰仁王子朝典から代々 今帰仁間切の総地頭職とともに、北山監守を世襲してきた家であるが、朝義の曾祖父にあたる向従憲・今帰仁按司朝幸の代(1665年)に、今帰仁間切から首里に住むように命ぜられ転居していた。しかしのちにこの城域が郡民の管理に委ねられようとしたさい、朝義はこれまでのいきさつを上申し、それを防ぎ、従来通り同家が城域を管理することとなった。朝義は城内に「山北今帰仁城監守来歴碑記」を立て、その来歴を記した。
== 系譜 ==
父:向鳳彩・今帰仁按司朝季の長男として生まれる(母は無系真鍋樽)。父には正室があったが、子ができなかったため真鍋樽を側室として娶り、そのあいだに生まれたのが朝義である。また父は16歳のときに今帰仁間切内の女子と一女をもうけており、これが姉の真増金である。朝義は室に向氏真松金をむかえ、子を五人もうけるも男子がなかった。ために嫁いだ三女の子を嗣子とし、家統を継がせた。
*父:向鳳彩・今帰仁按司朝季
*母(父の正室):向氏思武太金・司雲上按司 (向殿柱・喜屋武按司朝里の長女)
*姉の母(父の妾か):無系真蒲戸 (今帰仁間切親泊村親泊仁屋の娘)
 *姉(長女):真増金 (孟氏仲宗根筑登之親雲上幸矩に嫁ぐ)
*実母(父の側室):無系真鍋樽 (大里間切与那原村上原筑登之親雲上の娘)

*室:向氏真松金・湧川按司 (向兆鳳・小波津按司朝恒の次女)
 *長女:思亀 (夭死)
 *次女:思戸金 (夭死)
 *三女:武樽金 (蔡寅・具志頭親方得興に嫁ぐ)
  *孫(三女の子):尚弘猷・今帰仁王子朝賞 (嗣子となる)
 *四女:真鍋樽金 (未婚)
 *五女:真松金 (向永隆・羽地按司朝英に嫁ぐ)
 *嗣子(三女の子):尚弘猷・今帰仁王子朝賞

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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