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今幡西衛 : ウィキペディア日本語版
今幡西衛 (二代目)[いまはた にしえ]
今幡 西衛(いまはた にしえ、1870年11月19日明治3年10月26日) – 没年不明)は、高知県出身の自由民権運動家。自由党員。実業家作家
== 来歴 ==

=== 生い立ち ===
1870年11月19日明治3年10月26日)、竹村九十九の次男として高知県幡多郡中村町(現 高知県四万十市)に生まれる。のち今幡西衛(初代)の養子となり、その名を襲う。
1890年明治23年)、自由党に入党して林有造片岡健吉らに連れられ上京。代議士・三崎亀之助書生となる。
1893年明治26年)、中央大学を卒業。
竹内鉱業株式会社〔竹内綱の長男である竹内明太郎の会社〕に入社して、北海道夕張炭鉱の取締役支配人となる。
1915年大正4年)3月、竹内明太郎立憲政友会の推薦を受けて、衆議院議員選挙(第12回)に立候補すると、故郷高知県に戻って選挙活動に奔走した。のち、岩城炭鉱の常務取締役などを歴任。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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