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今日 マチ子(きょう マチこ)は、日本の漫画家、イラストレーター〔今日マチ子 『センネン画報』奥付 太田出版、2008年。〕〔石井龍 「KYO MACHIKO | 今日マチ子 | Cartoonist, Illustrator 」 PUBLIC-IMAGE.ORG、2011年1月17日(2014年4月21日閲覧)〕。東京都出身。東京藝術大学、セツ・モードセミナー卒。在学中よりライター兼イラストレーターとして活動。2004年より自身のブログではじめた1ページ漫画シリーズ『センネン画報』が口コミで評判となり人気を得る。雑誌連載作品に『みかこさん』『cocoon』『アノネ、』など多数。思春期の少年少女を主題とする、青を基調とした透明感のあるカラー作品が特徴的で、装画などイラストレーションの仕事も多数手がけている。 「今日マチ子」は筆名で、女優の京マチ子にちなんだもの〔『マンガ・エロティクス・エフ』vol.66、13p〕。 == 来歴 == === デビューまで === 女子学院中学校・高等学校、東京藝術大学美術学部及びセツ・モードセミナー卒業。美大進学を考え始めたのは中学3年生のときで〔東京漫画ラボ運営部「第14回 今日マチ子先生インタビュー【センネン画報/みかこさん/アノネ、】etc…… 」ページ1。東京漫画ラボ(2013年12月15日閲覧)〕、美大受験のため高校在学中に御茶ノ水美術予備校の基礎科に通う。予備校での同級生に、後に漫画家となる近藤聡乃、映画監督となる松本佳奈がおり、3人でよく遊んでいた〔「一五〇〇〇字ロングインタビュー」『マンガ・エロティクス・エフ』vol.66、11p〕。また高校ではマンドリンギター部と軽音部に所属しており、マンドリンギター部の1年先輩に高校生ミュージシャンとして活躍していた柴原聡子(ロケット・オア・チリトリ)がいた〔「一五〇〇〇字ロングインタビュー」『マンガ・エロティクス・エフ』vol.66、10p〕。 東京藝術大学では現代アートを扱う先端芸術表現科に一期生で入り、この科でミニコミの制作・出版や自費流通の方法のプレゼンなどをしていた〔「NEXT AGES vol.2 受賞者インタビュー 今日マチ子 」ページ1、文化庁メディア芸術プラザ(2013年12月15日閲覧)〕。また大学2年目から実家通いとなり通学時間が長くなったことをきっかけに、電車内でできることとして1ページのフリーペーパー『Juicy Fruits』の発行を開始(2000年10月)。「ガーリー」をテーマにしたA5判片面印刷のモノクロ新聞で、ほぼ3日に1号を発行、3人の名前を使い分けていたが実際には取材・執筆・イラストすべて一人でこなしていた〔。紙面内容については90年代中期の『Olive』や、同じ女子学院の卒業生でその頃に初単行本を出していた辛酸なめ子の影響があるという〔「一五〇〇〇字ロングインタビュー」『マンガ・エロティクス・エフ』vol.66、11-12p〕〔伊藤ガビン「時代と自分を見つめるマンガ家。新作から学生時代まで、伊藤ガビンによる今日マチ子インタビュー! 」White-Screen.jp、2013年10月18日(2013年12月15日閲覧)〕。当初は知人に配るというかたちで配布していたが、辛酸なめ子に会いに行った際、自費出版を扱う書店タコシェの店員と知り合い、2001年初頭からは10号ずつまとめてカラーの表紙をつけたものを店頭に置いてもらうようになった〔「一五〇〇〇字ロングインタビュー」『マンガ・エロティクス・エフ』vol.66、12p〕。 これらと平行して、在学中よりライター兼イラストレーターとして活動を開始。なお在学中には都築響一のもとに短期間インターンにも行っており、取材や記事執筆の姿勢に関し影響を受けたという〔。卒業直後は辛酸なめ子の紹介でみくに出版のアルバイトなどをしていたが、ここでイラストを描けるということから漫画の執筆を頼まれ、はじめてコマを割って受験漫画「実録!中学受験」を描く(みくに出版『進学レーダー』2003年夏・冬号初出。後年5編をまとめて『セキララ中学受験』として出版)〔。この作品が漫画家としての実質上のデビュー作となった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「今日マチ子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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