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今村俊三 : ウィキペディア日本語版
今村俊三[いまむら しゅんぞう]
今村 俊三(いまむら しゅんぞう、1928年1月25日 - 1990年12月24日 )は日本の俳人
== 経歴 ==
大分県大分市生まれ。教職にあった父親の転勤にともない、中津市、若松市(現北九州市)、直方市などで幼少期・少年期を過ごし、終戦を福岡市で迎える〔「木のベッド」『桃滴コラム』 桃滴舎、1983年。〕。旧制福岡県立福岡中学校在学中に、右上葉浸潤、左肺上部空洞、左腎臓結核を併発、その後死去まで、結核と闘うことになる〔「病歴」『桃滴記』 桃滴舎、1988年。〕。
1946年、同中学校卒業。桂樟蹊子および石田波郷に師事。「霜林」「」を経て、1979年、「桃滴舎」を創刊、主宰〔桃滴舎は俳誌の名称であるとともに、その発行所および書籍の版元でもあり、自らの著書のほか、句集や詩集、エッセイ集などを刊行している。〕。1980年から1983年まで、西日本新聞のコラム欄「風車」を担当。句集10冊のほかに、「風車」のコラムをまとめた『桃滴コラム』、「桃滴舎」に連載したエッセイなどをまとめた『桃滴記』『桃滴日録』などの著書がある。代表句は、1960年に「鶴」の初巻頭を得た〔「樟と鳩と湾と」『鳩の頸』 竹頭社、1961年。〕「樟絶えず風生む母の日なりけり」(句集『鳩の頸』所収)など。門下に、中村祐子、吉野裕之などがいる。
1990年、急性呼吸不全で死去。死去にともない、1991年1月、今村の追悼号をもって「桃滴舎」は第72号で終刊。同号には、生前交友のあった辻邦生が「桃滴舎と友情と」を寄せている〔また、『桃滴コラム』および『桃滴記』には今村宛の辻の葉書が序文として掲載されており、辻の文章を収録した書籍などの書影を掲載した『辻邦生書誌年譜』(木村潔編、湯川書房、1991年)には『桃滴コラム』や「桃滴舎」が掲載されている。〕。残された会員は1年間の喪に服した後、1992年、中村祐子らを中心に「桃子集」を創刊〔「西日本新聞」2010年3月5日付け朝刊。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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