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今村均 : ウィキペディア日本語版
今村均[いまむら ひとし]

今村 均(いまむら ひとし、1886年6月28日 - 1968年10月4日)は、日本陸軍軍人。最終階級陸軍大将宮城県仙台市出身。
温厚で高潔な人柄と、占領地での軍政・指導能力は高く、名将という評価を受けている。その人柄、エピソードは今日でも旧占領国の現地住民だけでなく、敵国であった連合国側からも称えられている。
== 来歴・人物 ==
祖父は戊辰戦争の際に仙台藩参謀を務める名門であったが、進駐してきた新政府軍に対して融和的な態度をとったため藩内の強行派から非難をあび財産を家来にほとんど分け与え、新政府からの官職への呼びかけにも応じることなく隠遁した。その後、妻を亡くすと名家から後妻を押しつけられるなどしたため酒におぼれる生活を送った。父の虎尾は先妻との間に生まれた。虎尾は幼少時に漢籍をたたきこまれるなど父から教育を受けた。生活が困窮していたため、裁判所の事務員として働きながら家事の出来ない継母に代わり弟妹達を育てた。そのようななか、虎尾は裁判官試験に2番の成績で合格し裁判官として任官した。虎尾は陸軍将校の娘であるきよみを娶り、きよみによって均を始めとする多くの子供が産み育てられた。きよみの勧めで均や弟たちは陸軍将校となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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