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今泉健司 : ウィキペディア日本語版
今泉健司[いまいずみ けんじ]

今泉 健司(いまいずみ けんじ、1973年7月3日 - )は、将棋棋士。棋士番号は299。愛知県豊橋市生まれ、広島県福山市出身。桐谷広人門下(奨励会時代は小林健二門下)。
2014年のプロ編入試験に合格し、2015年4月1日付けでプロ棋士四段となった〔アマ強豪の今泉さん、悲願のプロ棋士に!編入試験に合格 - スポーツニッポン 2014年12月8日〕2015年4月1日付昇級・昇段者 更新: 2015年4月 1日 13:40 - 日本将棋連盟〕。奨励会所属時は三段で退会、アマチュアでは七段であった。
== 人物 ==
居住歴があり、出身の広島県の隣県である岡山県出身の菅井竜也とは親しく、子どもの頃に将棋を教えたほか、後援会会員であった〔菅井竜也後援会竜棋会 〕。三段リーグ編入試験では、初段の菅井と対局し敗れている。詰将棋の作者としても、詰将棋パラダイス半期賞受賞の実績を有する。
小学2年で父から教えられ将棋を覚える。関西研修会に入会後、関西奨励会を受験も1回目は不合格。翌年関西研修会でクラスを上げ1987年9月に中学2年で関西奨励会編入。関西同期では四段入りしたものは居らず、関東同期では川上猛三浦弘行田村康介ら。1994年の第15回から三段リーグに在籍していたが、1999年の第25回で年齢制限により退会。この奨励会時代の師匠は小林健二今泉さん大健闘 朝日杯将棋予選、プロに3連勝 朝日新聞 2014年9月9日〕。
奨励会入会後は、上阪し師匠小林宅の近くで一人暮らしを始める。一人暮らしで将棋以外の遊びも覚え、1992年には師匠から「広島に帰ってやり直せ」と叱責され実家に戻った。将棋に対する熱意は捨てがたく、地元でのアマ強豪の励ましもあり飲食店でアルバイトをしながら塾生を続けた〔元奨の真実 将棋世界 2006年10月号〕。退会まで三段リーグの成績は、11期198戦101勝97敗と勝ち越していた。
三段リーグ初参加の第15回の成績は5勝13敗と降級点を喫する寸前であった。このうち1勝は、対局相手が直前に途中退会したための不戦勝であり、他4勝は全て後に棋士となる相手からであった(野月浩貴堀口一史座山本真也増田裕司)。この成績は、途中退会者を除き最下位の成績。
第18回は瀬川晶司が年齢制限で奨励会を退会した期で、大崎善生著「将棋の子」にも取り上げられた混戦の回であり、最終日に昇段の可能性があったのは、自力昇段の12勝4敗の3名(1位堀口一史座、14位野月浩貴、23位藤内忍)と他勝敗に影響される11勝5敗の2名(6位中座真と11位今泉)と10勝5敗の3位木村一基までの6名。今泉は連勝のみ昇段の可能性があったが、1局目の木村に敗れ昇段を逃す。昇段はなくなったが、2局目の勝てば自力昇段の中座に勝利する。中座が1局目に勝利していたため同じ12勝6敗であったが、順位は中座の方が上位(前期中座は10勝8敗、今泉は9勝9敗)であったため昇段できなかった。
第21回は、次点の弟弟子伊奈祐介と同星の11勝7敗であったが、順位が4位伊奈で5位今泉のため今泉は次々点であった。なお直接対決では敗れている。伊奈は次期も次点を獲得し、次点2回で制度変更後初のフリークラスの四段昇段を果たしている。12勝6敗の2位で昇段した増田裕司は年齢制限ぎりぎりであり、直接対決では今泉が敗れている。
第23回は、最終的に昇段した山本真也中尾敏之の同星である12勝6敗の成績も、順位差で次点に終わる。最終日までに連勝で無条件の11勝5敗の2名(8位安用寺孝功と19位今泉)と10勝5敗の5名(1位山本、2位金沢孝史、3位大平武洋、4位松本秀介、7位中尾)の7名に昇段の可能性があった。1局目の大平には勝利したが、2局目の中尾に敗れた。敗れた場合でも順位上位の11勝6敗の3名(山本対大平、松本対宮田敦史、安用寺対金沢)が後者に負けた場合のみ、中尾と共に昇段であったが、山本が勝利したため今泉は昇段を逃した。なお中尾は、畠山成幸畠山鎮以来の兄弟棋士を目指した松本秀介(第17回にプロ入りした松本佳介の3学年下の弟)が敗れたため、昇段を果たした。
第18回、第23回と2度次点を獲得しているが、「次点2回でフリークラス編入」という規定ができたのは第20回のため、第18回の次点は数えられず、フリークラス入りの権利は与えられなかった。
退会後、通信制高校を卒業。レンタルビデオ店アルバイトを経て日本レストランシステムの正社員となる。その傍ら、将棋も続けアマチュア棋戦に参加。アマ竜王戦準優勝〔第15回アマチュア竜王戦 日本将棋連盟 2002年〕により参加した2003年の第16期竜王戦6組では、藤倉勇樹安西勝一佐藤義則とプロ棋士を立て続けに破り、ベスト8に進出した。準々決勝では、先述の因縁の相手である中尾敏之に敗れた〔第16期竜王戦【6組】ランキング戦・昇級者決定戦 日本将棋連盟 2003年〕。
2006年には、3つのアマチュア棋戦で優勝を収め、秋山太郎とともに、2007年に創設された三段編入試験(6勝で合格、3敗で不合格)の第一号の適用者となった。試験では6勝1敗(後述)の成績を収め合格した(秋山は5勝3敗で惜しくも不合格)。その秋山とは、日本レストランシステムに入社を誘われ、ともに調理師として働いていた仲であった。再度の奨励会入りに際して、小林健二に師匠を依頼したが、小林は再び労苦を共にするのは辛いと考え、今泉と同郷の桐谷広人に師匠を託した〔。
2007年の第41回から2008年の第44回の4期、奨励会三段リーグに参加したが、四段に昇段することはできず、規定〔「奨励会三段リーグ編入試験」の合格者は三段リーグには最長4期しか在籍できず、勝ち越し延長も認められていない〕 により退会した。この間の最高成績は9位(2回)、4期通算の勝敗数は33勝39敗と負け越し。この奨励会在籍中に、2手目△3二飛戦法の開発により、将棋大賞升田幸三賞を受賞した。奨励会員の受賞は史上初。再度の奨励会退会後、畠山鎮の紹介で証券会社に勤めた後、地元福山市で介護職として働く〔今泉流振り飛車人生ファイル12 進撃篇 今泉健司さんを応援する会公式ブログ 2014年9月22日〕。
2013年の第26期竜王戦6組は、八代弥東和男藤森哲也のプロ棋士3人に勝ち、ベスト8に進んでいる。2014年6月8日、朝日アマ名人戦で5連覇中の清水上徹を2勝1敗で降し初の戴冠。アマタイトル大三冠(アマ竜王戦、アマ名人戦、朝日アマ名人戦)を達成した。同年7月5日、朝日杯オープンのプロアマ一斉対局で星野良生に勝利し、プロ編入試験の条件である対プロ棋士戦績が良いところをとって10勝かつ勝率6割5分を満たし、受験することを表明した〔朝日アマ将棋名人の今泉さん、プロ編入試験を受験へ 朝日新聞 2014年7月5日〕。7月22日に日本将棋連盟へ2度目の奨励会と同様桐谷広人を師匠とし、プロ編入試験の受験申込を行った〔アマチュアの今泉健司さん、プロ編入試験受験へ 日本将棋連盟 2014年7月24日〕。アマから奨励会からの昇段を経ないでプロ棋士になったのは、花村元司瀬川晶司がいるが(うち花村は飛付五段で四段以前を経験していない)、それぞれ特例でのプロ入りであり、プロ編入が制度化されてからのプロ編入試験受験者第一号となった。
同年8月1日、朝日杯オープン一次予選2回戦で船江恒平を降し、3回戦に進出を決める。9月3日、3回戦の相手はプロアマの師弟対決2例目となる奨励会時代の師匠の小林健二〔初は2004年の朝日オープン将棋選手権1次予選2回戦、桐山隆アマと石田和雄戦。結果は桐山が勝ち〕。小林は和服で現れ、相入玉の末持将棋に1点足りず249手で今泉が勝ち、恩返しを果たす。小林からは「よくがんばった」「もう少し序盤を研究したほうがいい」などと労いの声を掛けられた〔アマの今泉名人、1次予選で敗退 朝日杯将棋オープン戦 朝日新聞 2014年9月4日〕。同日の1次予選決勝では、長沼洋に敗れた。同年9月19日、プロ編入試験第1局を4日後に控えた状態で銀河戦に出場。Fブロック1回戦で所司和晴に勝利する。プロ編入試験2局目から4日後の10月9日、先述2回戦で八代弥に、前年竜王戦6組の借りを返された。同年11月30日、3連覇中のアマ王将戦決勝で、元アマ王将の中川慧梧に敗れ4連覇を逃す。
プロ編入試験合格後、今泉健司さんを応援する会公式ブログは今泉の日常と名前を変えた。2014年末限りで介護施設を退職し、将棋一本での生活に入る意思表示をした〔将棋一本の生活へ 今泉の日常 2014年12月27日〕。2015年の指し初め式にはプロ棋士予定者として、元師匠である小林の誘いにより参加を果たしている〔指し初め式 今泉の日常 2015年1月8日〕。
2015年2月21日、囲碁将棋チャンネルでプロ編入記念対局と銘打ち、プロ編入の先輩である瀬川晶司と対局し、敗れる〔プロ編入記念対局 ~今泉健司新四段 vs 瀬川晶司五段~ 囲碁将棋チャンネル 2015年4月4日閲覧〕。
2015年4月1日、四段昇段により正式に棋士となった。フリークラス編入のため順位戦は参加せず、10年以内でのC級2組昇格を目指すことになる。
同年4月13日、プロ棋士として初めての公式戦があり、加古川青流戦の1回戦で慶田義法三段を破り、プロ初勝利を上げた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「今泉健司」の詳細全文を読む



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