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今福友清 : ウィキペディア日本語版
今福友清[いまふく ともきよ]

今福 友清(いまふく ともきよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将武田氏の家臣。譜代家老衆。駿河国久能城主。
今福氏甲斐源氏の一族奈古氏を遠祖とする。『甲陽軍鑑』によれば、70騎を有していたという。
武田氏は天文年間に信濃侵攻を本格化させるが、『高白斎記』によれば天文22年(1553年)の筑摩郡侵攻において「今福石見守」が狩谷原城主となり、知行地を巡り信濃国衆の海野下野守と争論が発生したという。また、『高白斎記』によれば深志城主・馬場信房平瀬城主・原虎胤が甲府参府中に、横田康景と共に在番と仁科衆への監視を務めている。
その後の動向は不明であるが、永禄4年(1561年)の川中島の戦いでは嫡男・今福虎孝が従軍しており、この頃には隠居していると考えられている。『甲陽軍鑑』に拠れば、友清は永禄11年(1568年)の駿河侵攻により、元亀2年(1571年)には領国化された駿河・久能城主を務めており、板垣信安の後任であると考えられている。久能城は駿河支配の軍事的拠点であり、郡司郡代)の権限を持っていたと考えられている。
天正9年(1581年)、病没。
家督を継承した嫡男・虎孝(丹後守、善十郎友実、子に友直)は久能山城主を務め、天正10年に徳川氏の侵攻で自刃する。友久(丹波守)・昌和ら次男以下も討死し、生き残った養子・昌常(新左衛門、和泉守、長坂光堅の次男)と孫の友直は徳川氏に仕えている。
== 参考文献 ==

* 黒田基樹「今福浄閑斎」柴辻俊六編『武田信玄大事典』 (新人物往来社、2000年)
* 平山優「今福浄閑斎」柴辻俊六編『新編武田信玄のすべて』 (新人物往来社、2008年)
* 平山優「長閑斎考」『戦国史研究』第58号、2009年
* 平山優「戦国大名武田氏の駿河支配に関する一考察-久能城主今福長閑斎を中心として-」『戦国大名武田氏と甲斐の中世』磯貝正義先生追悼論文集刊行会、2011年


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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