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仏国寺[ぶっこくじ]
仏国寺(ぶっこくじ、プルグクサ)は、大韓民国慶尚北道慶州市にある仏教寺院。韓国仏教界の最大勢力である曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の寺院で第11教区本寺。吐含山のふもとにある。 1995年、石窟庵とともに「石窟庵と仏国寺」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。また釈迦塔などが国宝に指定されている。 ==歴史==
新羅景徳王の時代の751年(景徳王10年)、宰相だった金大城(キムデソン)により建立がはじまる。『三国遺事』には、金大城が現世での父母のために建立したと記述されている(『三国遺事』巻五・孝善・大城孝二世父母 神文代〔大城孝二世父母 神文代 牟梁里(一作浮雲村)之貧女慶祖有兒。頭大頂平如城。因名大城。家窘不能生育。因役傭於貨殖福安家。其家俵田數畝以備衣食之資。時有開士漸開。欲設六輪會於興輪寺。勸化至福安家。安施布五十疋。開咒願曰。檀越好布施。天神常護持。施一得萬倍。安樂壽命長。大城聞之。跳踉而入。謂其母曰。予聽門僧誦倡。云施一得萬倍。念我定無宿善。今茲困匱矣。今又不施。來世益艱。施我傭田於法會。以圖後報何如。母曰善乃施田於開。未幾城物故。是日夜國宰金文亮家有天唱云。牟梁里大城兒今汝家。家人震驚使檢牟梁里。城果亡。其日與唱同時有娠生兒。左手握不發。七日乃開。有金簡子彫大城二字。又以名之。迎其母於第中兼養之。既壯。好遊獵。一日登吐含山捕一熊。宿山下村。夢熊變為鬼。訟曰。汝何殺我。我還啖汝。城怖懅請容赦。鬼曰。能為我創佛寺乎。城誓之曰喏。既覺。汗流被蓐。自後禁原野。為熊創長壽寺於其捕地。因而情有所感。悲願增篤。乃為現生二親創佛國寺。為前世爺孃創石佛寺。請神琳表訓二聖師各住焉。茂張像設。且酬鞠養之勞。以一身孝二世父母。古亦罕聞。善施之驗可不信乎。將彫石佛也。欲鍊一大石為龕蓋。石忽三裂。憤恚而假。夜中天神來降。畢造而還城方起。走跋南嶺。爇香木以供天神。故名其地為 恚而假。夜中天神來降。畢造而還城方起。走跋南嶺。爇香木以供天神。故名其地為香嶺。其佛國寺雲梯石塔彫鏤石木之功。東都諸剎未有加也。古鄉傳所載如上。而寺中有記云。景德王代。大相大城以天寶十年辛卯始創佛國寺。歷惠恭世。以大歷九年甲寅十二月二日大城卒。國家乃畢成之。初請瑜伽大德降魔住此寺。繼之至于今。與古傳不同。未詳孰是。讚曰 牟梁春後施三畝 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仏国寺」の詳細全文を読む
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