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仏罰(ぶつばち)とは、仏(如来)が悟った根本の真理に背いたために自然に蒙る(とされる)罰のこと。神罰との対比でよく誤解されているが、仏が罰を与えるのではない。ただし、これは仏教全体の解釈ではない(後述)。 == 概説 == 一般的に“罰”(ばつ)とは、ある定めに従わない行為がなされた場合に、その行為をした者に対して苦を与えることをいう。 宗教上の場合、その教義に従わない場合の“罰”として、神罰、そして仏罰があるとされる。なお仏教における一般的な“処罰”や“制裁”には、大きく分けて以下の2種類がある。 #原始仏教、上座部仏教における罰 #:これは戒律に違背した者に行われた制裁であり、最も軽いものは懺悔を求める突吉羅(ときら)罪で、最も重いのは教団追放である波羅夷(はらい)罪まで、いくつかの種類がある。教団追放までいかなくても、一定期間に渡り僧尼の権利を剥奪するもの、他の僧と別居させられるもの、マーナッタ(六昼夜に渡る謹慎)などがある。また罪の種類によって梵壇(ぼんだん)や黙擯(もくひん)という制裁が科せられる場合がある。たとえば、釈迦仏の出家前に馬丁を務め、後に仏弟子となった車匿は悪口(あっく)車匿といわれるほど、釈迦仏や他の弟子を悩ませたため、釈迦仏は滅度する前に、車匿にはブラフマダンタ(黙擯=彼と一切話しない)をもって接すよう阿難に命じたことがある。 #大乗仏教における罪 #:大乗の戒律では、どのような重罪でも懺悔によって原則として許されるようになった。しかし日本では、奈良時代や平安時代には畿内より追放する擯出(ひんすい)が行われた。また江戸時代などでは女犯(にょぼん)は宗教的な範疇だけではなく、行政的にも重い罪とされ、晒し者にされて遠島などに処せられた。 しかし、これらの罰は戒律に違背したために、第3者によって現実に行われる処罰であり制裁である。したがって“仏罰”の概念には相当しない。仏罰とは第3者が現実的に科すものではなく、誹謗正法つまり謗法(ぼうほう)を犯したことで現証として実生活に顕れる事象を指して言うものである。 ただし、これは冒頭に述べたとおり“仏罰”は仏教全体の解釈や用語ではなく、一部の法華系宗派、あるいは新宗教教団の信徒によって広められた用語や解釈であり、これらの用語は正しいものではないと否定する宗派も少なくない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仏罰」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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