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仙台東宝劇場 : ウィキペディア日本語版
仙台東宝劇場[せんだいとうほうげきじょう]

仙台東宝劇場(せんだいとうほうげきじょう)は、かつて宮城県仙台市青葉区中央2丁目に所在していた東宝系の映画館である。
神奈川県横浜市で「横浜東宝会館」などの映画館を経営していた会社「東宝関東興行株式会社」が運営・経営していたが、後年は近隣の「日乃出劇場」などや東京都新宿区で「新宿スカラ」などの映画館を経営していた会社「三和興行株式会社」に移管された。
ここでは、後継施設の『仙台東宝ビル』(せんだいとうほうビル)についても述べる。
== 歴史 ==

* 1922年大正11年)8月11日:仙台市東三番丁に「帝国館」として開業したのが始まりである。大正末年の1920年代には、仙台市内の映画館は同館の他、仙集館、松島座、パテー館(後の仙台日活劇場)、文化キネマ、廣瀬館、世界館の計7館が存在していた〔昭和7年の映画館 宮城県 - 中原行夫の部屋 (原資料『キネマ旬報』) 2012年7月27日閲覧。〕。
 *その後、読売会館→多聞会館→新興映画劇場を経て、1938年昭和13年)に東宝の直営館となり、「仙台東宝映画劇場」と改称するが、1945年(昭和20年)7月10日仙台空襲により建物が焼失される。
* 1946年(昭和21年)1月17日東一番丁仙台三越5階に「東宝三越劇場」として再オープンするが、 1954年(昭和29年)10月、館名を「仙台東宝劇場」と改称し東五番丁17に移転する。
* 1963年(昭和38年)3月:新築なった東宝仙台ビル6階に仙台東宝劇場が移転オープン。
* 1986年(昭和61年)3月:ビル8階に仙台東宝2がオープンし、2館体制となる。
* 2006年平成18年)2月26日:近隣のシネマコンプレックスに客足を奪われたことや、建物の老朽化も重なり、「帝国館」時代から数えて84年におよぶ歴史に幕を下ろした。最後の作品は東宝1が『ALWAYS 三丁目の夕日』、東宝2が『単騎、千里を走る。』であった。当館の閉館により、仙台市中心部の映画館は「仙台セントラル劇場」「チネ・ラヴィータ」「フォーラム仙台」の3館6スクリーンを残すのみとなった。
* 2008年(平成20年)7月1日:跡地に仙台東宝ビルが新築完成(後述)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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