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仙台第一生命タワービルディング(せんだいだいいちせいめいタワービルディング)は、仙台市都心部の東二番丁通りに面して建つ超高層ビル。市民からは「仙台第一生命タワービル」または「タワービル」と呼ばれている。以下、タワービルと記載する。 == 概要 == タワービルは仙台市立病院跡地の再開発であり〔平成20年 戦災復興展 (仙台市戦災復興記念館) … 戦後復興期の1956年(昭和31年)2月の仙台市立病院周辺の写真、および、同じ場所の2008年(平成20年)6月の写真が比較掲載されている。〕、東を東二番丁通り(国道4号)、北を市道区画街路南58号線〔仙台市道青葉1303号・区画街路南58号線〕、西を三越通り(または1.5番町)〔仙台市道青葉1267号・区画街路南15号線〕、南を森徳横丁〔仙台市道青葉1214号・森徳横丁線〕で囲まれる区画のうち、北東と北西の角地部分を除いた区画のほとんどを占有して建つ。仙台市立病院が建つ前は仙台地裁があった。 タワービル完成前の仙台市都心部にあった高層ビルは、高い方から、 #住友生命仙台ビル (67.4m、地上18階。1975年竣工) #七十七銀行本店ビル (64.5m、地上14階。1977年竣工) #仙台第2合同庁舎 (62.7m、地上15階。1973年竣工) であった。ここに1985年(昭和60年)5月、タワービルは従来の60m級から20m以上も高く、東北地方では最も高い90m級・地上21階建ての超高層ビルとして完成した。また、10年振りに仙台市内の最高層ビルの地位も入れ替わったため、円高不況期(1983年 - 1986年)だった当時において仙台市民から注目を集め、展望台の無いオフィスビルであったにも関わらず、タワービルの最上階には見物客が集まった。 プラザ合意(1985年9月22日)後のバブル景気期になると、1987年(昭和62年)のNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』の放送で仙台には観光客が大量に押し寄せ、同年7月15日に東北初の地下鉄である仙台市営地下鉄南北線が開業し、大きく社会増が起きる中の1989年(平成元年)4月1日には仙台市が東北初の政令指定都市となる。この政令市化に合わせて、 *仙台ターミナルホテル(86m、地上21階、1988年6月) *住友生命仙台中央ビル (SS30) (143.0m、地上31階。1989年2月) *宮城県庁舎(89.8m、地上18階。1989年5月) などが建った。140mを超えるSS30の登場により高層ビル東北1位の座を明け渡したが、バブルの最中のタワービルは、最上階の会員制高級クラブを初めとして、仙台のランドマークとなっていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仙台第一生命タワービルディング」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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