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仙石 みなみ(せんごく みなみ、1991年4月30日〔〔D・GIRLS 〜ソーシャルメディアの踊り手たち〜 79頁〕 - )は、日本の女性アイドルであり、女性アイドルグループ『アップアップガールズ(仮)』〔D・GIRLS 〜ソーシャルメディアの踊り手たち〜 60頁〕・K-POPカバーダンスグループ『UFZS』〔K☆STAR LOVERS vol.2 112頁〕のメンバーである。 宮城県仙台市出身〔。 アップフロントクリエイト所属。 2004年から2010年までハロー!プロジェクトの研修生『ハロプロエッグ』として活動。2007年より音楽ガッタスのメンバーとして活動し、CDデビューするなど、歌手として経験を積む。また、劇団ゲキハロ第5回公演 「Berryz工房 VS Berryz工房」、ワーサルシアタープロデュース vol.1『つぶやくGirl's』に出演するなど、女優としても経験を積む。 2010年12月、ハロプロエッグの研修課程を修了。以降、ハロー!プロジェクトには所属せず、アップアップガールズ(仮)等のメンバーとして活動しているが、『ハライチの神アプリ』レギュラー出演・舞台『はしゃぐ茶柱』主演・雑誌グラビアなど、個人としても活動している。 == 略歴 == 小学生の頃、モーニング娘。の「ザ☆ピ〜ス!」がリリースされたのをきっかけにモーニング娘。の大ファンとなり〔IDOL AND READ 149頁〕、仙台でコンサートが行われる度にコンサートを見学するようになった〔〔アイドル最前線2013 71頁〕。仙石はモーニング娘。の中でも当時メンバーであった石川梨華に憧れており、石川のような「元気や夢を与えられる人になりたい」と考えた〔。また「ステージに立って歌ったり踊ったりしたい」という理由もあり〔、モーニング娘。のメンバーになりたいと思うようになった〔。しかし、当時モーニング娘。の追加メンバーオーディションの応募条件には中学生以上という年齢制限があったため、応募することは出来なかった〔。2004年、モーニング娘。が掲載されている雑誌にハロプロ エッグ オーディション2004の募集要項が掲載されているのを見て、同オーディションに応募し合格した〔。 ハロプロエッグ1期メンバーとなった仙石だが〔、仙台からレッスンには通っていたものの〔Top Yell 2012年11月号 96頁 年表〕、他のハロプロエッグメンバーと違い、ハロー!プロジェクトのコンサートのリハーサルに通えなかったため、同コンサートには出演することが出来なかった〔IDOL AND READ 152頁〕〔. 2012年12月14日閲覧。〕。その結果「東京に行かないときっと仕事ができない」と考えるようになり〔、中学2年生の後半には、高校進学と同時に上京したいと考えるようになった〔. 2012年12月14日閲覧。〕。 2006年 * 3月19日、Hello! Project SPORTS FESTIVAL 2006 さいたまスーパーアリーナ大会において、メトロラビッツH.P.の試合のアシスタントを務めた〔。これは仙石にとっての初仕事である〔。 ; 2007年 * 高校進学にあわせ上京した〔。上京して最初の1年間は一人暮らしをしていたという〔。 * 5月13日、「第一回 ハロー!プロジェクト新人公演 〜さるの刻〜/〜とりの刻〜」に参加。これがハロー!プロジェクトのステージへの初参加となった〔。 * 6月19日、能登有沙、真野恵里菜、澤田由梨と共にGatas Brilhantes H.P.への加入が発表された。また、この頃音楽ガッタスへの加入も決まった〔。 * 9月12日、音楽ガッタスとしてシングル「鳴り始めた恋のBell」でCDデビュー。レコーディングも初経験した〔。 2008年 * 11月18日 - 23日、初舞台「Berryz工房 VS Berryz工房」でロボットせんごくちゃん(T-1059号)役。 2010年 * 6月7日、公式ブログ「みなみのチョコっとDAYS♪」を開設。 * 夏、所属事務所より、ハロプロエッグの高校生以上のメンバー全員と、中学生以下のメンバーの一部にハロプロエッグの研修課程修了という通達があった。仙石にとって、言い渡された時の絶望感は相当なものであり〔RUN! アプガ RUN!(仮) 170頁〕「人生で一番の絶望」であった〔IDOL AND READ 156頁〕。 * 11月、最後の新人公演に出演し、ハロプロエッグの研修課程を修了した〔. 2012年12月14日閲覧。〕。事務所から芸能活動を続けるかどうか問い合わせがあったが〔、それ以降のスケジュールについて何も聞いていなかったため、12月には芸能活動をやめようと思い親に相談した〔。仙石は一旦辞意を事務所に伝えたが、前言を翻し結局続けることにした〔〔IDOL AND READ 157頁〕。理由としては、ハロー!プロジェクトのメンバーになれないことは確定したが、仙石の好きな歌・ダンス・芝居はハロー!プロジェクトのメンバーでなくても続けることが出来るということと〔アイドル最前線2013 72頁〕、辞めてしまうと、ハロプロエッグの研修期間の間に積み上げてきたものが無くなってしまうということが挙げられる〔〔。 * 12月21日、ハロプロエッグの研修課程を修了したことを発表。同時に舞台公演に出演することも発表されたが〔、地震の影響により公演が見送りとなり、最終的には2011年7月に行われた。 2011年 * 3月8日、『つながるセブン』隔週火曜日番組アシスタントとなった。 * 4月1日、アップフロントガールズ(仮)としてのブログ「アップフロントガールズ(仮)オフィシャルブログ」開始〔〔アップアップガールズ(仮)としての活動のことだけでなく、個人としての活動のことも記載されている。〕。後にグループ名は『アップアップガールズ(仮)』に改名。 * 5月17日、佐保明梨とともに、オリジナルK-POPコピーダンスチーム「UFZS」に加入。 * 5月 - 6月、初の主演舞台『はしゃぐ茶柱』に出演。 2012年 * この年の9月に発売されたUTB+に自身初となる水着グラビアが掲載された〔UTB+ 2012年11月号 45頁〕。 * 12月、雑誌『週刊ヤングジャンプ』の企画「サキドルエース SURVIVAL」に参加した〔週刊ヤングジャンプ2013年1月15日号 233,236頁〕。この企画は、5組のアイドルグループのメンバーの代表1人が同誌上で競演し、読者アンケートで1位を獲得したメンバーの所属するグループ全員で同誌のグラビアページに掲載されるというものである〔週刊ヤングジャンプ2013年1月15日号 233-238頁〕。仙石は1位を獲得し、翌2013年3月にアップアップガールズ(仮)全員によるグラビアが週刊ヤングジャンプに掲載された。 2013年 * 4月13日に横浜BLITZで行われたアップアップガールズ(仮)のライブの夜公演前に突然声が出なくなるというアクシデントに襲われ、公演終了後に「声帯結節」という診断を受けた。声帯の状態は一進一退を繰り返しつつも少しずつ良化しているが、2016年2月現在も完治はしていない〔。 * 7月に公開されたホラー映画『讐 〜ADA〜』で、主演・市川美保役を務めた。 * 12月20日に発売された雑誌『ヤングガンガン』で表紙に起用された。仙石にとって、個人で雑誌の表紙に掲載されるのは初となった〔。 2014年 * 前年10月にカメラマン西條彰仁の推薦でエントリーした雑誌『ヤングアニマル』の企画「NEXTグラビアクイーンバトル セカンドシーズン」で優勝したことが1月に発表された。 * 4月2日(4月1日深夜)よりテレビ東京『ハライチの神アプリ@隆盛紀-ONLINE-』にレギュラー出演した。4月10日からは、ニコニコ生放送『乙アプリ』に出演している。 2015年 * 4月2日(4月1日深夜)よりテレビ東京『ハライチの神アプリ@英雄神紀〜Ver.INSTALL〜』にレギュラー出演した。続いて、7月6日から12月28日までTOKYO MX『ハライチのアプリ王@神撃編』にレギュラー出演した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仙石みなみ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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