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仙石政俊[せんごく まさとし]
仙石 政俊(せんごく まさとし)は、信濃上田藩の第2代藩主。出石藩仙石家3代。 == 生涯 == 元和3年(1617年)7月9日、小諸藩の第2代藩主・仙石忠政の長男として小諸で生まれた。寛永5年(1628年)、父の死去により家督を継いで第2代上田藩主となり、寛永11年(1634年)に従五位下・越前守に叙位・任官する。 常陸下館城在番や大坂城加番を務め、慶安3年(1650年)には検地を行なって石直しに務めるなどして藩政の基礎を固めた。寛文7年(1667年)に嫡男の忠俊が早世したため、忠俊の長男で嫡孫の政明を養子に迎え、寛文9年(1669年)2月25日に家督を政明に譲って隠居した。その際、弟の政勝に小県郡2000石(矢沢知行所)を分知し、上田藩の石高は5万8000石となった。隠居後上田城外の諏訪部に住み、直政と改名した。のち剃髪し道休と号する。 延宝2年(1674年)2月25日に死去した。享年58。隠居地諏訪部の芳泉寺に葬られた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仙石政俊」の詳細全文を読む
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