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仙台トンネル(せんだいトンネル)は、宮城県仙台市にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)仙石線のあおば通駅 - 陸前原ノ町駅間3.2km()およびその前後に及ぶ、同線の地下新線を通すトンネル。あおば通駅 - 仙台駅間の新設を伴う「JR仙石線連続立体交差事業」において、仙台市都心部の地下を概ね東西方向に建設された。事業期間は1981年度(昭和56年度)から2000年度(平成12年度)、総事業費は654億円〔JR仙石線連続立体交差事業 (全国連続立体交差事業促進協議会 「踏切すいすい大作戦 」)〕。事業延長3,933mのうち、地下式3,530.5m、地表式(掘割式)402.5m〔。 == 経緯 == 仙石線の前身である宮城電気鉄道が建設された際、片倉製糸工場〔および宮城野撓曲を避けてルートが選定されたため、線路は住宅密集地を蛇行するように敷設された。さらにそのカーブしたルート上に駅間距離を短く駅が設置されたため列車は高速走行できず、踏切の遮断時間は比較的長かった。列車の本数増とモータリゼーションの進展により踏切での交通渋滞は慢性化し、特に坂下交差点に隣接する太田見踏切は同交差点を市内屈指の渋滞地区にさせる一因とみなされ、地域住民のみならず仙台市都心部に流入する仙台都市圏東部の住民全体の問題となっていった。 一方、仙台駅東口一帯では、以下のような合計事業面積160haを超える土地区画整理事業が行われており、事業区域内に仙石線の線路も含まれた。 そのため、仙台駅東第一土地区画整理事業の区域内を通る宮城野通りなどの地下に仙台トンネルを建設し(連続立体交差事業)、地上の軌道敷の跡は仙台駅東第二土地区画整理事業などで処理されることとなった(かつて存在した地下鉄東西線への直通案については仙台市営モノレール南西線参照)。 1984年(昭和59年)7月27日、仙石線の(仮称)仙台駅(現・あおば通駅)から福田町駅までのL=7,730m()が「仙塩広域都市計画 都市高速鉄道 第2号」として都市計画決定し、1985年(昭和60年)に工事開始。1989年(平成元年)に仙台市が政令指定都市に移行したため、事業主体が宮城県から市に移管〔(仙台市)〕。苦竹駅(高架駅)から宮城の萩大通りの東側までは掘削式(半地下)で造られ、同道より西側ではトンネルと地下駅が設置された。また、仙台駅西口側に延伸されたあおば通駅が仙台市地下鉄南北線・仙台駅と地下通路で接続された。 2000年(平成12年)に仙台トンネルは完成し、同年3月11日に仙石線が移設・開業。これによって仙石線にあった14の踏切が廃止された〔。また、線路の蛇行がなくなったことにより、表定速度が向上した。 なお、当事業は「平成12年度街路事業コンクール大臣賞」〔、および、「平成12年度土木学会賞技術賞」〔平成12年度受賞一覧 (土木学会)〕を受賞している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仙台トンネル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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