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仲資王 : ウィキペディア日本語版
白川仲資王[しらかわ なかすけおう]
白川仲資王(しらかわ・なかすけおう、保元2年(1157年) - 貞応元年(1222年))は平安時代後期から鎌倉時代初期の公卿官位正三位兵部卿神祇伯本姓源氏家系花山天皇を祖とする花山源氏の嫡流家柄人臣でありながら王氏を任ずべき神祇伯を家職としていたため、任伯している間に限り、源姓を離れ王号を名乗る格式を保持していた。子に業資王資宗王がいる〔野島寿三郎編『公卿人名大事典』(日外アソシエーツ1994年) 382頁参照。〕。
== 生涯 ==
神祇伯顕広王右少弁藤原能忠の女の次男として生まれる。初名は顕順で永暦2年(1161年)に従五位下位階叙爵し、仲資に改名する。承安3年(1173年)に従五位上に進み、安元2年(1176年)に神祇伯となる。治承3年(1179年)、播磨権守となる。養和元年(1181年)、正五位下寿永元年(1182年)、従四位下を経て従四位上に進む。元暦元年(1184年)、正四位下建久元年(1190年)、従三位となり公卿に列する。同9年(1198年)、神祇伯を辞す。正治2年(1199年)、太皇太后権大夫に任ぜられ、翌年に辞する。元久2年(1205年)、正三位となり、承元元年(1207年)、兵部卿に任ぜられ、同年、出家した〔。
代々、神祇伯を家職としたため白川伯王家といわれたが、白川を家号とした時代や時期については、仲資王の祖父 顕康王のときとも〔、曾孫の資邦王のときともいわれ、定かでない〔岡野友彦著『源氏と日本国王』(講談社2003年) 88頁、89頁参照。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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