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仲里御殿(なかざとうどぅん)は、尚純の次男・尚監、野国王子朝直を元祖とする琉球王族。第二尚氏の分家で、王国末期に仲里間切(現:久米島町(仲里地区))の按司地頭を務めた琉球王国の大名。 一世朝直は最初、与那城間切の按司地頭に任ぜられ与那城王子を称したが、さらに恩納間切按司地頭職を加増されて、恩納王子を称した。1733年、久米具志川間切の按司地頭に転任したので、野国王子朝直と称するようになった。三世朝政は9歳で卒し、弟の朝堅が家統を継いだが嗣子がなく、又従兄弟に当たる久志御殿の朝義を養子に迎えた。七世朝諄の時、琉球処分となった。 == 系譜 == * 一世・野国王子朝直 * 二世・野国按司朝康 * 三世・野国按司朝政(朝康長男。早世) * 三世・野国按司朝堅(朝康次男) * 三世・与那城按司朝義(久志御殿二世・越来按司朝穎の子。仲里御殿へ養子入り) * 四世・与那城按司朝宜 * 五世・安勢理按司朝顕(朝宜次男。早世) * 五世・仲里按司朝衛(朝宜三男) * 六世・上原按司朝庸 * 七世・仲里按司朝諄 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仲里御殿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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