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天中軒雲月[てんちゅうけん うんげつ] 天中軒 雲月(てんちゅうけん うんげつ)は浪曲の名跡。当代は5代目。 初代と四代が男性、二代・三代・五代が女性と、男女が交互に襲名する芸の世界でも珍しい名跡である。
== 初代 == 天中軒 雲月(1895年3月 - 1945年4月6日)本名は原田定治。 九州佐賀県の生まれ、10歳で浪曲の世界入り、12歳で早川勘之助(原田宝山)の門下で養子になり名前を浪曲界の大家桃中軒雲右衛門に因んで天中軒雲月を拝命。天才少年浪曲師として九州一帯で名を馳せる。1911年に上京し、両国で独演会を開き高評価を得る。初代木村重友、東家楽燕、3代目鼈甲斎虎丸と共に浪曲四天王の一人として活躍。余芸で米山甚句や都々逸を響かせた。1931年に地方巡業中に脳病で倒れ、長い療養生活を送る。墓所は佐賀県唐津市松雲寺。その療養生活を支えた妻は、日本浪曲協会から表彰された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天中軒雲月」の詳細全文を読む
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