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伊勢志摩国立公園[いせしまこくりつこうえん]
伊勢志摩国立公園(いせしまこくりつこうえん)は、三重県志摩半島一帯からなる国立公園。1946年11月20日に指定された。リアス式海岸と温暖な気候による植生が特徴で、英虞湾、的矢湾、五ヶ所湾など深い入り江が多い。 日本の国立公園の面積の約60%が国有地であるが、鳥羽市・志摩市の市街地のほかに神路山などの伊勢神宮の宮域林5,500ha〔『伊勢神宮と周辺の自然 』(伊勢志摩きらり千選 )〕を含む伊勢志摩国立公園では90%以上が私有地である〔『ようこそ国立公園へ 』(環境省)〕。年間訪問者は1017.6万人(2002年)〔古田(2005)、74ページ〕。生活圏と重なるため、日本の国立公園の中では最も人口が多い〔。
== 指定までの経緯 == 伊勢志摩国立公園は観光客の増加を期待し、戦前に鳥羽と志摩が吉野熊野国立公園の区域拡大を求めたことに始まる。1942年に独立した志摩国立公園の計画に変更されたが、当初の計画では宇治山田市(現伊勢市)を含まなかった。太平洋戦争の戦況が悪化し、計画は頓挫したかのように見えた。 1945年の敗戦直後から厚生省が国立公園事務を再開し、翌1946年4月に厚生省石神甲子郎技師が志摩国立公園の候補地を視察した。政教分離のためにGHQが神宮を過剰に解体してしまうことが危惧され、宇治山田市議会が宇治山田市と度会郡沼木村(のちに伊勢市)を追加することを決議した。5月には神宮の宮域林を含む範囲が申請区域に追加され、伊勢志摩国立公園の計画に変更された〔『遷宮論集』(神社本庁)〕。鳥羽・志摩では英虞湾が真珠の主要産地であることをアピールするためにGHQ要人の夫人へ真珠のネックレスなどを贈与し便宜を求めた〔『驕るなかれ 』53ページ(中村幸昭著、Google ブック検索 ) - 中村は鳥羽水族館創設者である〕。これとは別に神宮側が懸命に説得したこともあり戦後初の国立公園として伊勢志摩国立公園が誕生した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊勢志摩国立公園」の詳細全文を読む
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