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伊勢貞宗[いせ さだむね]
伊勢 貞宗(いせ さだむね)は、室町時代中期から戦国時代の幕臣。政所執事を務めた。伊勢貞親の子。従兄弟に北条早雲(諸説あり)。伊勢流故実の大成者でもある。 == 生涯 == 文正元年(1466年)に父貞親が足利義視暗殺計画に失敗して季瓊真蘂、斯波義敏、赤松政則と共に京都から出奔したため(文正の政変)、8代将軍足利義政の命令で家督を継いで政所執事となった。応仁2年(1468年)に貞親が京都に戻ってくると執事職を父に返還したが、文明3年(1471年)に父が出家すると再び執事となった。 専横の振る舞いが目立った父貞親と違って温和な性格だったことから義政の信任も厚く、足利義尚の養育係に任じられ、義尚が9代将軍に就任すると幕政全般を統括するまでに至った。応仁の乱終結後に起こった山城国一揆では山城守護に任じられた息子貞陸の補佐にあたっている。しかし義尚、義政らが相次いで死去すると、延徳2年(1490年)に家督と執事職を貞陸に譲って隠居し、以後は『貞宗聞書』、『伊勢兵庫頭貞宗記』などの著作・文芸活動に専念した。 ただし、明応の政変で義尚の従弟の10代将軍義材(義稙)が廃位され足利義澄が11代将軍に就任すると、日野富子の意向もあってその後見人的な立場に就いており、政変で幕府の実権を握ったとされる管領細川政元も貞宗の存在を無視できなかったという。 永正6年(1509年)10月28日に死去した。享年66。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊勢貞宗」の詳細全文を読む
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