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伊原 義徳(いはら よしのり、1924年(大正13年)4月24日 - )は、日本の官僚。 == 来歴 == 兵庫県神戸市に生まれる。神戸一中(現・兵庫県立神戸高等学校)、旧制第三高等学校(現・京都大学総合人間学部)を経て、1947年(昭和22年)に東京工業大学電気工学科(旧制)を卒業。同年商工省に入省(機械局)。 1954年(昭和29年)に通商産業省工業技術院で日本最初の原子力予算担当、米国アルゴンヌ国立研究所原子力留学、科学技術庁調査課長、ロンドン日本国大使館科学担当(一等)書記官、科学技術庁秘書課長、原子力局次長、研究調整局長、原子力安全局長などを経て、1979年(昭和54年)に科学技術事務次官を最後に退官。 その後財団法人国際科学技術博覧会協会事務総長、日本原子力研究所理事長、日本原子力学会会長、原子力委員会委員長代理、財団法人高輝度光科学研究センター (SPring-8) 理事長などを歴任。2002年(平成14年)に勲一等瑞宝章受章。 現在は(浜松ホトニクス㈱が設立した)光科学技術研究振興財団理事、財団法人熊谷科学技術振興財団理事、財団法人つくば科学万博記念財団評議員、社団法人科学技術国際交流センター評議員。 ノーベル物理学賞の江崎玲於奈は旧制三高時代の同級生。盛田昭夫の実弟で元ソニー副社長(現日本テニス協会名誉会長)の盛田正明は東京工業大学バレーボール部時代の後輩。ロンドン日本国大使館では現衆議院議員の伊吹文明と同僚。又、警察庁長官官房総括審議官の沖田芳樹(前愛知県警本部長、元宮内庁侍従職事務主管、元香川県警本部長)は甥。 科学技術庁課長補佐時、原子力委員会での正力松太郎と湯川秀樹の対立を目にした。 日本の火力発電とイギリスの原発(コールダーホール原子力発電所と同型)のコストを比較したら、日本の火力発電の燃焼効率が高い事などから、原発を導入しても発電コストのメリットがないことが分かり正力に報告したが「木っ端役人は黙っておれ」と叱られ、それっきりになった。(本人談) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊原義徳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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