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伊号第百二十一潜水艦(いごうだいひゃくにじゅういちせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦。伊百二十一型潜水艦の1番艦。竣工時の艦名は伊号第二十一潜水艦(初代)。終戦時残存、戦後海没処分。 == 艦歴 == 1921年(大正12年)度計画艦。当初の予定艦名は第四十八潜水艦〔1924年(大正13年)11月1日に伊号第~潜水艦の名称に変更される。〕。1924年(大正13年)10月20日に神戸川崎造船所で起工、1926年(大正15年)3月30日に進水、1927年(昭和2年)3月31日に竣工。呉鎮守府籍。竣工時の艦名は伊号第二十一潜水艦。 1938年(昭和13年)6月1日に伊号第百二十一潜水艦と改名。 太平洋戦争開戦時には伊号第百二十二潜水艦とともに第6潜水戦隊第13潜水隊に所属。1941年(昭和16年)12月シンガポール東方に機雷敷設。1942年(昭和17年)1月ダーウィン沖に機雷39個敷設。1月18日オランダ貨客船1隻撃沈。2月アラフラ海で気象偵察に従事し3月21日呉港に帰港。 二式飛行艇のハワイ偵察支援(給油)のため、機雷庫と敷設筒をガソリンタンクに改造するがハワイ偵察はその後中止となる。 8月ラバウルへ進出、8月7日ガダルカナル島砲撃。9月20日呉に帰港し修理。12月21日再度ラバウルに進出しニューギニア・ラエ輸送に従事。1943年(昭和18年)1月29日よりガ島撤退を支援し、その後呉に帰港。5月再々度ラバウルに進出しラエ輸送に8回従事。9月1日呉に帰港、以後は練習潜水艦となる。 1945年(昭和20年)6月12日舞鶴港に回航され終戦を迎える。11月30日除籍。1946年(昭和21年)4月30日舞鶴沖で米海軍により海没処分された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊号第百二十一潜水艦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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