|
伊号第三十一潜水艦(いごうだいさんじゅういちせんすいかん、旧字体:伊號第三十一潜水艦)は、大日本帝国海軍の伊十五型潜水艦(巡潜乙型)の12番艦。 当初は伊号第三十七潜水艦と命名されていたが、1941年(昭和16年)11月1日に伊号第三十一潜水艦と改名されている〔昭和16年11月1日付 海軍達 第333号。〕。 ==艦歴== 横須賀海軍工廠で建造された。竣工は1942年(昭和17年)5月30日。 トラック島などを根拠地として南太平洋で作戦行動を行い、ガダルカナル島への輸送も行っている。1943年(昭和18年)に入ると千島列島幌筵島を寄港地としてアリューシャン列島への輸送任務もこなしている。しかしながら戦闘艦としてアメリカ艦船への攻撃に成功することはなかった。 1943年5月12日、アッツ島からキスカ島への輸送任務中にアメリカ軍がアッツ島上陸。キスカ島への荷揚げ後、5月13日アッツ島ホルツ湾外でアメリカ戦艦ペンシルバニアを雷撃するが外れる。駆逐艦「」および「ファラガット」による爆雷攻撃を受け、浮上後砲戦により撃沈される。乗員95名全員戦死。 同年5月14日に亡失と認定され、8月1日、除籍となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊号第三十一潜水艦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|